「穏やかな光」小池 友美 写真展

小池さんが日本写真芸術専門学校に入学しようと思ったきっかけは?

大学を卒業してから、やはり写真をやりたいと写真専門学校への入学を決めました。1年間写真学校に入る学費を貯め、その間に写真学校等をいろいろ検討して日本写真芸術専門学校に決めました。

I部(昼間部)報道写真芸術科の報道写真専攻を卒業されましたよね。在学中の思い出は?

入学した時は写真芸術科でした。ゼミの選択時に友人に誘われてたまたま報道科の樋口先生のゼミの説明会に参加し、その時の衝撃が強くて結果報道科へ転科しました。
いろいろ驚きの課題が出て、それをこなすために行ったたくさんのこと、そのどれもが全て絡み合って思い出となっています。それから、どの先生も自分というベクトルを持っていて、正解や間違いはないことを実感したこと。これも鮮烈な思い出です。

具体的にはどのようなお仕事をされているのですか。

在学中は料理スタジオでアシスタントのアルバイトをしていました。
卒業後はライティングとか自分に身に付いていない技術を学びたいと思い、洋服撮影のスタジオのアシスタント、商品撮影をしている方のアシスタント等をフリーでしながら、農業雑誌や地域雑誌の取材をしたり。
その時によって様々ですが、どれもその後の為の経験となっています。

どのような経緯で今回の写真展(東京写真月間2012国内企画展)が実現されたのでしょうか?

そのころは、東京から福島に戻ってきていました。
写真展を見てくださった東京写真月間の方に2012年の国内展へノミネートしていただいたことがきっかけとなり、今回の写真展の実現へと繋がりました。東京写真月間の方々、福島写真美術館での展示の際にお世話になった方々、そしていつも支えてくれている人たちに深い感謝の気持ちです。
そのどれが欠けていてもここへは繋がらなかったと思っています。

「穏やかな光」を撮影しようと思ったきっかけを教えてください。

両親が、特に母が有機農業を始めたのでなんとなく撮り続けてはいました。いつという明確な線はありませんが、私が5歳の頃当時有機農業はそれほどメジャーなものではなく、なぜそれを選ぶのかという気持ちがありました。そんな思いから少しずつ記録する意味もあって撮り続けていました。

小池さんにとって、東日本大震災と福島原発とは?

東日本大震災の地域の中で、福島原発事故の被害があった地域では、なかなか復興が進んでいません。
「穏やかな光」を撮影した地域では、今も信じられないような生活が続いています。
そこに留まりたいと願っている人だけでなく、避難したいと願っても避難できない人も未だにいます。それを伝えたいし、伝えてほしいと願っています。

これからの活動を教えてください

写真展会期中に「穏やかな光」の続編を撮り続けてくださいという温かい言葉をたくさんいただきました。
同時並行で撮り続けているテーマとともに、今後も撮り続けて行こうと思っています。写真集にして形に残したいとも思っています。

写真展にご来場頂いた方や、写真展ルポを読んでいるみなさんに一言

写真展が終わって思うのは、これほど写真展を見に来ていただいた方々から感動やあたたかい気持ちをもらうなんて思わなかったということです。 写真展をするということは、こんなにも誰かと繋がれることなのだと思いました。
穏やかな光の中で家族や動物たちと暮らす時間は、ずっと間違いなく続いていくことと思っていました。
いつかまたあのあふれんばかりの穏やかな光、日常、平和と出会えると信じて。
写真展の開催にご協力いただいた全ての皆様、そして足を運んでくださった全ての方々へたくさんの感謝をお伝えしたいです。

新宿ペンタックスフォーラム

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