木の葉揺れれば(3)
ところで、バイタクに乗って思ったのだけれど、上海は今まで歩いた町の中でも点よりも線、線よりも面が多い町になった。何の話かというと撮影だけじゃなく自分が歩き回った場所のことだ。だいたい「ここのこれを撮る」なんて決めてかかるとそこに行くだけになるから行動(自分の中の地図)が点と点でしか表示できないような感じになってしまうけれど、それを全部放棄してみて、「とりあえずどこそこまで行ってみようか」になるとだいたいその行動(自分の中の地図)は線になっていく。それが徒歩ばかりになれば尚更で、加えていえばしつこく歩き回る時間が長くなれば長くなるほどその線は面の要素を帯びていって、気づいたころには「このエリアはこんな風」というのがだいたいわかるようになる。
上海は地下鉄とタクシーがすごく便利。だけれどもどうしても交通機関にお金をケチる性質だからタクシーなんて使うわけもなくて、地下鉄で適当なところまで行ってそこから歩く、というスタイルが板についてしまう。まるで東京だ。
なんてことを思ったのはバイタクが通った道が、「初」というのが上海駅(Railway station)のすぐ西側の通りだけで、ほかの道は全部歩いたことがあった道だったからだ。別にたいした距離じゃなくて、それでもバイクですいすい行った割には15分以上かかっていたから、一息に歩こうと思える距離じゃない。そんなくらいの面積のエリアをだいたい把握していたことがなんとなくうれしくなった。別に上海っ子になったつもりはないけれど、こうやって町を知っていくんだろうなぁと思う。町を知るのと文化を知るのはわけが違う。町をいくら知ったって文化を知るには相当な時間が必要になってくるし、そこに馴染むとなったらもっと大変だというのがわかるから、僕はそこに馴染もうと思う気なんて更々なくて、だから「郷土料理」とか「各国料理」というものにも全くといっていいくらい興味がわかない。お茶の文化は素敵だと思うし、美味しかったけれど、やっぱりそれとこれとは話が別で、やっぱりそれは観光の範囲で、それ以上にはならない。でもそれでいいと思うから、住む気にはならないんだと思う。
そんなことを考えながら今、上海でもっとも開発が進んでいるあたりを歩いてみたけれど、当たり前といったら当たり前に建設工事中の建物が多かった。その中にすごく静かな高層住宅地があって、こうやって人が住む土地が節約され、侵食していくように増えていって、過密化する都市人口を支えるんだろうなと思った。僕は都市にはあこがれるけれど、やっぱり中途半端に自然と調和しているような田舎の町が好きなんだなと思った。
その後豫園へ行った。豫園までたどり着いていないのに近づいただけで町並みは半世紀くらいタイムスリップしたような感じで、それら全てが観光地化されていた。今考えればなぜそこでシャッターをあまり切らなかったのかはわからないけれど、少し後悔したりもしている。
豫園の中は静かな庭園で、日本家屋の欄間のような細かい細工のある軒が並び、それが斜陽に照らされて鮮やかに影を描く様が綺麗だった。柳の葉が風で揺れるたびに僕らも風を感じて、それが暑くて湿気た中にいる体感温度を下げてくれる。同じ風を昔ここで誰かも感じていたのかと思うと、急にまわりの建物が統一されている意味がわかったような気分になった。
余談になるけれど、豫園ではなく、その前の日に行った龍華寺にいた子猫。
人懐こかったけれど手のひらサイズの小さな体で、鳴き声がか細くてかわいかった。

