Lines of Sight ~それぞれのアジアへの視線~
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.27

ところで

ktkodomonohi_0627.jpg
一太の座敷の横にあった人形。
ネパールについて、まだネパールの料理を何一つ食べていない。
一太という日本食屋さんが何故か美味しくて、そこに通いつめるように(といってもまだ二回だけれども)行っている。
日本食。
僕は生憎、とある事情で一時的に帰国していたものだから(しかも二度も)そこまで恋しいとか思う立場じゃないのかもしれないけれど、やっぱり自分が育った環境とか自分が育った味というのが自分の中のどこかにインストールされていて、だから醤油とか味噌とか、そういった味を懐かしいと感じるし、そればかり食べていても飽きることを知らないのだから、そう考えれば日本食が恋しいと思うのは当然だと思う。こうのたまってみるととてつもなく言い訳くさいが、とにかく僕はまだネパール料理を口にしていない。多分ネパールから出国するまでには本場の、しかも地元民が行くようなお店に入るんだろうけれど、よくよく考えてみれば、「地元民が行くような店」にはインドでもそんなに入っていない。
マレーシアのクアラルンプールで滞在したホテルの隣のレストランとか、ペタリンジャヤでウォンさんに連れて行ってもらった食堂とか、それを最後にそういうその土地柄みたいなものを感じられる素敵なお店には出会っていない。というより避けている。
正直なところ、インドでの食中毒の話を聞かされて気が滅入っていて、入る気がしなかった。それでベジタブル料理屋さんとか、少しランク高めのレストランに入ったり、ホテルのレストランで適当に済ませたりしていた。だから、インドについてなんて詳しく語れるわけもない。
食堂というところは、思うに、その国や地域性みたいなものが必然的ににじみ出てくるところなのだ(きっと)。カンボジアといいベトナムといい、タイといいマレーシアといい、やっぱり街ひとつ違うだけでその食堂の雰囲気はガラッと変わるし、味付けも微妙な塩加減やスパイスの加減が違っていて、それは店の違いもあるのだろうけど、何軒かはしごしてることを考えると、やっぱり地域性みたいなものがわかるんだと思う。


そう考えると、最初安易に「ネパールとインドって似てるのかなぁ」とか思っていたところを検証するような比較も、説得力に欠けてしまうのかなぁと不安に思ったりする。


とは言ったものの、やっぱりネパールとインドでは大きく文化というか、群集<人>の雰囲気というか、いろいろなところが全く違うと思う。
今までもそうだったけど、国境を越えただけで、そのあたり一帯の雰囲気がガラッと変わるのだ。それが首都→首都といった移動をしてしまうと余計にそれは顕著だ。
旅を始める頃、漠然と考えていたことは「ベトナムやカンボジアは大して大きな差異なんかなくて、タイやマレーシアは歴史的に見て雰囲気は変わるにしても、インドとネパールはやっぱり大きな差異なんかないんだろう」ということだった。けれど、ベトナムからカンボジアに来ると雰囲気は貧富の差のような経済的物理的なものだけにとどまらず、宗教観とか価値観も全く違っていて(体制が違うことを考えれば当たり前だが)、料理なんかは似ていたけれど、食堂の雰囲気もまるっきり違っていた。
ベトナムもカンボジアも活気あふれる、という感じではなかったけれど、でも、それぞれ異なった雰囲気の「活気あふれる、という感じではない」空気だった。
予想通り、発展を遂げてしまったタイとマレーシアは通ってきた国とは雰囲気を異にしていたけれど、それはどことなく台湾や日本を髣髴とさせてしまって、新鮮さは全くなかった。
ところが、だ。
インド。前にも書いたけれど、デリーでとうとう新鮮、を感じてしまって、とりあえず慣れたはいいけれど、なんとなく負けたような気がして悔しかった。
話を戻せば、インドとネパールは全然違った。言語の違いもあるのだろうけど、なんというか、どちらも活気あふれていて、人はしつこくて、なつっこくて、どこかに裏があるようでいて、誠実な人も居て・・・。そういうところは同じなんだけれど、そのあり方が違う。前に言った風に言うならばそれぞれ異なった雰囲気の「どちらも活気あふれていて、人はしつこくて、なつっこくて、どこかに裏があるようでいて、誠実な人も居て。。。」という街。うまく言えないのが惜しいけれど、とにかくそうで、ネパールの「どちらも活気あふれていて、人はしつこくて、なつっこくて、どこかに裏があるようでいて、誠実な人も居て。。。」は日本人向けというか、難易度でいったら易しくて、肩の力も抜いていられる。




で、今日はやっと、復帰二回目にして初めて、写真をまじめに撮ることができた。
ポカラに行く手配を済ませて、午後三時過ぎから日差しが夕暮れに変わる直前までふらり、ふらり、という風に歩いて写真を撮ってみた。40分くらいでフィルム5本。
羽立の旦那のブログを見て、思わず笑ってしまったけれど、やっぱり街中とかでカメラを構えて自分がシャッターを押そうというのを待っていると、それが長ければ長いほどにたくさんの人が足を止めて僕(一般的に言えば写真を撮ってる人)を見ている。(まぁ、考えてみれば羽立の旦那の場合、あれは一見カメラに見えないし、本当に分からない人から見れば不可解極まりないから、人だかりもできたのだろうが、)
インドではそうだった。そして振り向くと「俺を撮れ」


ネパールではまだそんなことは二度しか遭遇していないけれど(40分の間に二度。しかしそのうち一回は僕が構えた道の反対側、つまり僕の撮ろうとしているところに足を止めて、動いてくれなかった)、インドとは違って、どちらも強引なんだろうけど、やっぱりなんというか、やり方なのか、その人の雰囲気なのか、何かが違っていた。
で、そのうち一組はデジカメで撮ってあげるとうれしいような恥ずかしいような笑みをみんなで交わしながら、「ナマステー」と言って去っていった。
たぶん高校生。
ktgirls_0627.jpg


しかし、この「ナマステ」の意味がわからない期間が長すぎたおかげで(といっても、知ったのはつい昨日の事。どこまで調べるのを面倒くさがっていたのか。。。)、「ナマステ」と聞くと、なぜだか分からないけれど、僕の頭の中では「アカスリ」が連想されて、あんまりいい気分はしない。
申し訳ないけれど、とうぶん僕からナマステは言えそうにないです。「アカスリ」

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.26

遠い背中

P6250085.JPG
インディラ・ガンジー・国際空港のパーキングエリア。

インドの国際空港に戻ってきたのが25日で、ネパールでみんなと合流したのが26日だから、長い人で2ヶ月近く、一番最近会った人で1ヶ月半以上会っていなかったことになる。
やっと合流できました。

まだ顔を見てない人もいるけれど、まぁ、おいおい会えるでしょ。と思い。

この二ヶ月近く、色々あった。
いろんなことを考えさせられながら、それも答えなんかでるわけもなくて、それでもどこに腰を落ち着けるでもなく、やっぱり今でも考えているけれど、それなりになんというか、価値観も変わってきた気がした。
でも、人間そんなもんなのかな、と知ったようなことを思って、まぁ、それはそれでいいと思う。

それでも自分が目にした光景で、これは好き、あれはそうでもない、という基準は相変わらずあって、だから、この空港に着いたときに駐車場の夜景がきれい、だなんて思えたんだと思う。
夜景が好きになったのはつい一、二年前くらいで、それは夜にばかり写真を撮っていたからなのだけれど、もともと僕は大自然風景なんかより人工的な風景のほうが俯瞰していて楽しいし、そう考えてみると、案外昔から夜景は好きだったのかななどとも思う。
とはいっても、夜景=ロマンチックとしてとらえる風潮が現代の日本には少なからずあるから、多かれ少なかれ、好きな人はたくさんいて、そういうことになると自分の好きな夜景もロマンチックなのかという疑問が浮かんでくるけれど、それは実はそうではなくて、実際こんな駐車場の街灯を見たところで「わぁ、キレイ」だなんて喜ぶ女の子はそういないはずだから、まぁ、少しずれてるんじゃないのかな、と自分を肯定的にみたりしてしまう。
話を戻すと、僕は一時復帰したものの、また事情で日本に帰っていた。
帰ると軒先のアジサイはもうちゃんと花をつけていて、「なんだ、遅いよ」と思った。僕も一足も二足も遅かった。でも、それは覚悟していたことだし、そう割り切って言うと「冷たい」とか「非情だ」とか言われかねないけれど、それはそれで仕方なくて、でも僕も当人も覚悟していたはずなのだから、仕方ないんだと思う。最期の握手になったとしても、あの時は頑張る背中を見せるほうが大事だと思ったから、それでいい。

P6260084.JPG
25日の晩に泊まったホテルのレストラン。

で、デリーから国際空港への復路(朝)タクシーがパンクした。
P6260083.JPG

車のパンクに遭遇するなんてそうそうなくて、しかも、それをさっさと彼は一人で直して、「ノープロブレム」と笑った。結構いい人で、僕が車の中に溢れんばかりにたわむれる蚊を握るように捕まえようとしていると僕をバックミラーで見てにやりと笑い「猫みたい」と言った。
蚊は怖い、と言おうと思ったが、彼からすれば猫がじゃれているように、つまり楽しんでいるように見えたわけで、実際僕も楽しんでいたから、その台詞が冗談にしかならないだろうと思って、何も言わなかった。

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.21

closed

しばらくお休みします。

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.19

雑感

僕は音楽が好きだ。一般的な感覚で好きと言えると思う。
基本的にジャンルの好き嫌いは無くて、そもそもジャンルの区別すらいまいち理解していないくらいだから、
つまりはなんでも聴くんだろう。


音のある空間にいると落ち着く。
でもそれは、別に音が無いといられないのかというと違っていて、無音に近い空間も好きだ。
それでもグラスウールに囲まれたような部屋に閉じ込められない限り、無音はありえないし、
例えばイヤフォンの隙間から入るざわめきやクラクション、ノイズなんかも
僕にとっては音楽に添えるものになるから、つまり、どうでもいいんだろう。


写真を撮ることが本当に自然に好きになってきたと最近思えるのは、
ある一定の縦横の比率の中に空間をしまいこんで、
それを目で愛でるのが楽しいからだ。
この瞬間、僕の耳に入るのは風音とか、人の声とか、色々あるんだろうけど、実際感じていなくて、
その写真を思い出すたびに無音空間を見ているような気がして嬉しい。


でも、それは、どう、なんだろう?


観る方が、写真を目の前にして、喧騒やらノイズに囲まれる錯覚に陥る方が、
写真として完成度が高いように感じるのはなぜだろう。


どこまでいっても静かな風景(空間)ばかり愛していたら、
たぶん僕の眼は唄えなくなる。


そんなことを思った。

続きを読む "雑感" »
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.17

デリーにて

13時間眠りこけたおかげで、デリーの雰囲気に慣れた。
可笑しな夢もいろいろ見たけれど、よく覚えていないから、それはそれでいいとして。


そして今日、方々を歩きまわった。
撮影量は不満足。
でも、出会いはいやなくらいにあって、かなり疲れた。
出会いのうち不快な気分に追いやられたのは、たったの三回だった。


しかし、どこに行っても、
デリー市民から言わせると、
「デリーに一週間も? デリーだけで? ほんとに? あなた、それ、退屈すぎるよ」
といわれる。
そういうもん?
みなさん、口をそろえてアグラをすすめる。
タージ・マハル。
そりゃさぞかし壮麗でしょう。
でも、今回のこのプランで、全くもって名前をあげなかったラジャスタンとかアグラとか言われても、
僕は苦笑することしかできなくて、
「デリーなんてつまらない」
と言う彼らに反論どころか、自分の考えすら言う気になれなかった。


もっといい写真。
もっとビューティフルな町。
みんなそう言う。


mainst_dh0617.JPGelevator_dh0617.JPG
building_dh0617.JPGredcar_dh0617.JPG
でも、こういう風景で満足してる自分はおかしい?
いや、それはそれで。
まぁ、いいじゃない。
のんびりと、一週間、汚いながらも、それなりに見所の散らばった町を歩き回ろうと思う。

続きを読む "デリーにて" »
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ

from chennai to delhi

早朝の閑散とした道をオートリクシャーが走っていく。
まだ街は目覚めきっていなくて、本当に昼間の喧騒が嘘みたい。
太陽も昇りきっていない。
光にはイエローが足りなくて、全体的にブルーの中に沈んでいる。
その中を牛を引き連れた男性が道沿いに歩いていく。
その先には作りかけの歩道。
あとは何をしているのか、歩いている人たちがぱらり、ぱらりと、それぞれの方角を向いている。


この国に来て初めて、目の前の光景を愛しいと感じた。
それは写真におさめたくなるのとは違う。空気の流れを感じられる愛しさだった。
そんなことを感じさせられるような写真が、いつか撮れるようになれたら、と思う。


僕は後部座席で荷物を支えながら、リクシャーの運転手のたくみなハンドルさばきを見ていた。
大きなトラックやバスなんかものともせず、排気ガスに突っ込むようにスルスルと抜けていく。
ホテルのレセプションは45分はみた方がいいなんて言っていたけれど、空港まで30分とかからなかった。
カーストという制度が浸透しているらしいから、きっとお父さんも息子もリクシャーを運転するものなのかなと、そんなことを思ったりもした。
でもリクシャーからオートリクシャーに変わっていく過渡期や、車が普及しだした頃、その運転手になるというとき(つまり新しい職業が需要によって生じたとき)その職業にはどんな身分の人がたずさわっていくのだろうとも思った。
一般的に職業を選ぶ自由のある文化はなんとなく想像がつくけれど、
職業を選ぶ自由のない文化はどんな風になるのか知りたくもあり、またそこがわからないくらいがちょうどいいのかも知れない、とも思った。


空港でチェックインなどをすませて座ってみると、空調のせいで想像以上に寒くて、五十嵐先生が以前、「インドの空港寒くて、新聞にくるまったくらいだよ」と言っていたのを思い出した。


デリーに着いたのはその日の午後で、ホテルにチェックインしたり、定時連絡を済ませたりしていたら夕方を過ぎてしまった。
そしてパハルガンジ周辺を歩き、この旅で初めて「初めて」を感じた。
カルチャーショック。
汚すぎるのだ。
僕らの尺度に合わせると、そこはとても危険、とレッドランプが点るくらい、汚いのだ。
そしてそこで人々は生活をしている。
あぁ、これがみんなのいう「インド」なのだな、と感じた。


その日は疲れもあってか早くに寝てしまった。

続きを読む "from chennai to delhi" »
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.15

Chennai date

インド。三日目。
なんとなく、Egmoreという界隈を歩いてみようと、歩き出す。
ビルと、スラムみたいな家屋と、家屋と、道と、車と、リクシャーと、バイクと、人と、屋台と、アンモニア臭と、朝とは信じられない強さの陽射しと、汗と、物乞いと、牛と、自転車。
まぁ、こんなところか。


賑わったあたりをうろついていたらしく(とはいっても、閑散としてるように思えたが)頻りに話し掛けられ、みんな僕を中国人か韓国人だと思い、カメラのレンズを見てやっと日本人だと気づき、英語を喋り出す。
この前マレーシアで会ったアリーも言っていたけど、日本ってそんな風に思われてるんだなって、時々感心する。
まず、聡明。
次に、金持ち。
最後に来るのが、騙しやすい。
そんなとこ。
だから、日本製品を好き好んで買うんだろうし、
だから、日本人を好き好んで誘うんだと思った。
アリーはとても誠実で、僕のことを騙すこともなかったし、金持ちだとも思ってなかったので、とても接しやすかったけど、だいたいあの三拍子を考えてる人は、カメラの値段だけにとどまらず、さまざまな値段を聞いてくる。
インドだけじゃなく、タイでも、ベトナムでも、マレーシアでもそうだった。
日本をリスペクトして祖国をこよなく愛したアリー。
彼はきっと特別な部類に入るんだろう。
なんか、そんな気がした。



やっぱり日本人は、自分たちがどう思われてるかなんて、実際のところわからないし、僕だって知らなかった。その僕が聞いた意見はごくごく一部で、それがマイナーなのかメジャーなのかはわからない。
ただ、僕が聞いたイメージはあの三拍子に収束されていく気がする。


で、歩いたのは繁華街。
で、眺めた風景はこんなところだった。
cow_ch0614.JPGfamily_ch0614.JPG



昼前に、日陰でフィルム交換をしてると、通りの向かいで僕に向かって「おいで、おいで」をしているおっさんがいた。
なんだろ、と思いつつ、でも、なんとなく気が引けもしたのだけれど、とりあえず行ってみることにして、おっさんのところに寄っていくと、
「まぁまぁ、食べてけよ」
と。
そこは屋台だった。
日本の感覚したら飲食業やってる清潔度合いじゃない。でも、なんとなく断れなくて(というのも、インド料理に好奇心が向いて)、食べることに。
curry_ch0614.JPGeatingcurry_ch0614.JPGtea_ch0614.JPG


そこの客を見習って、辛いカレーがかかった饅頭みたいな生地を手掴みで食べ、苦すぎるともいえる、深い味わいのチャイを飲む。
満足。
お金はいらないから、撮った写真を今度送ってくれといわれ、
「九月過ぎるよ?」
と言ってみたら、
「構わない」
と笑った。


つまり、僕が出会ったのは概ねいい人たちだった。

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.13

Getting into India

皆からは12日遅れてインド入境。
先生や他の友達とかから「インドはインド特有の何かがある」みたいなことを頻りに言われていたから期待で胸を膨らませていたのに、案外普通で、結構落胆した。初めて見た、とか、こういうのは初めて、というのが全くなくて、それは僕がチェンナイしか見てないからそうなのか、それとも行動範囲がまだまだ足りないとでもいう意味なのかはわからないけれど、結局インドにまで来ても僕はたいして感動も出来ないんだなと、当たり前のことを思った。デリーに行けばきっと今度こそ、感動くらいはできるはずだと思い込むことにしているけれど、そもそも感動というのは外からやってくるものではなくて、内側からこみ上げてくるものだから、つまりは結局僕次第で、この調子だとまた「こんなもんか」になりそうで怖いというのが正直なところだ。
インド。暑い。それだけ植物も豊富、というか力強い。これはマレーシアでもタイでもカンボジアでもベトナムでも台湾でも感じたことで、やっぱり花は暖かいところの方が鮮やかだなと思った。

P6120047.JPG


チェンナイ初日は空港からホテルへ直行して、チェックイン。それからカメラとかの最小限の荷物だけ持って、目抜き通りまで行った。雑踏、匂い、クラクション、強い陽射し、臭い、声、排気ガス、ぬるい風。。。全部がいっしょくたにあった。それを見ながらハノイのホアンキエム湖周辺の街路を思い出した。というのも、こういう切れ目のない道を渡るのがベトナム以来だからで、そのクラクションの鳴らし方とか、渡るコツとかはベトナムと全く同じで人のうざったさもベトナムと似ていた。ただ、あの国みたいな陰鬱な雰囲気は欠片もなくて、それが妙にすがすがしくも、懐かしくもあった。
とにかく、現地人の尾行をすると、そういう大通りは渡れることになっていて、僕はしばしば後をついて行ったりした。きっと怪しいんだと思う。

following_ch0612.JPG

その日は適当に食事を済ませ、よるは早々に床についてしまった。



翌日、「ホテルから歩いてみんべ」と思ったGeogetown。地図ではかるに、7km? 詳しく見積もってないからわからないけど、そのくらいをあることにした。
それから地図も見ずに、感覚だけで歩くと、迷いながら四時間も歩き続けていた。
自分はおかしいんじゃないかと思った。


parkseaside_ch0613.JPGbikeseaside_ch0613.JPGwallfort_ch0613.JPGeggcondle_ch0613.JPG



最後の頃、右手側に見えたビルの上の白いサッカーボール(写真参照)は、実はコンドルか何かの卵で、いつか孵化するときが来て、きっとその時ビルから飛び立つんだ、とかいうくだらないことを考えてみたりした。多分、バカなんだと思う。



疲れていたから、交渉とか、そういうのが面倒になって、二回も立て続けに割高に支払わされ、最後にはサルに10ルピーふんだくられ、やる気を喪失して部屋に戻った。
我ながら惨めだと思う。

P6130023.JPG

でも、その夜くらいはインド料理に舌鼓を打ちたくて、ちゃんと夕飯を食べた。
そして、その美味しいドーサでその日のことを忘れてしまおうと心に誓った。



そうそう、インドでのカルチャーショックは一つだけあります。
シャワー
放射状に水が広がらないなんて初めてでした。

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ

About my short stay in Malaysia

アリーと出会ったのは、僕がマレーシアに着いた夜だった。


その日、空港に着いたのがもう八時近くて、空港の免税店なんかもほとんどが閉まっているような状態だったから、その雰囲気に急かされて、焦ってKL行きの特急に飛び乗った。もっとも、ホテルは前日に予約を済ませてあったし、チェックインは九時をまわる、と連絡してあったから焦る必要はなかったのだけれど、初めてのKLだし、とはやる気持ちを押さえ切れなかった。
それでホテルに着いた頃にはもう九時半を回っていて、チェックインを済ませた後の安心感で肩にどっと疲れが圧し掛かった。


部屋はそこまで広くも無く、かといって窮屈なほどでもなく。ベッド二つがある部屋は壁で囲まれていた。細い通路が奥に伸びていて、ベッドの奥側を圧迫するように迫っていた壁の裏側にはクロゼット。その奥にバスルーム。一人で滞在するにはじゅうぶんだ。そんな部屋を見て、アリーは「狭いね。こんなところに一人って、さみしくない?」と笑ったのを思い出す。


先生に連絡をして、シャワーを浴びて、もう寝てしまおうと一度ベッドに入り込んだ。次の日の予定はもう入っていたし、多分忙しい滞在になるんだろうと思って眠ってしまおうとした。
でも、夕食は食べていなかったし、お昼ご飯も機内食だけで、水すら持っていなかった。
渇きと空腹が合わさって、とてもじゃないけれど寝れそうになかった。
体を起こすと、腹が鳴る。重いものは食べたくない。チョコレートなら、機内で隣になった女性からもらっていたのを思い出し、せめて水だけでも買いに行こうと思った。
もう一度汗臭い服に袖を通し、階段を降りて、レセプションに聞いた。
「この辺で冷たい飲み物、売ってるとこない?」
それに答えてくれたのはレセプションのボーイじゃなくて、そこでボーイと楽しそうに談笑していたアリーだった。
「すぐ隣だよ。ほら、一緒に行こう」
彼はさっさと出ていってしまい、僕は戸惑ったが、レセプションのボーイも「彼について行きな」とジェスチャーをしたので、ボーイに微笑んで僕はホテルの外へ出た。
ホテルの前のロータリはレトロとでもいうのか、暖色灯が石造りのあたりを照らして、いかにも、という雰囲気を作り出していた。十時半を過ぎていた路地は静かだ。
アリーはパキスタンから留学していること、マレーシアに来てもう一月が経っているということを僕に説明してくれた。それから僕の名前を尋ね、僕が答えると、
「よろしく、なを」
と握手を交わした。
その僕の「なお」という名前の発音がどうしても「なを」というように聞こえて、それが印象的だった。たまにニャオといわれ、僕は苦笑したが、彼は嬉しそうだった。


その夜は水とペプシを買って、部屋に戻ってチョコレートと水でやり過ごした。
うつらうつらした頃に、今度はアリーが僕の部屋を叩いて、「同胞、もっと話をしよう」と笑った。
安眠を妨害するんだなぁと苦笑しつつ、ドアのところで立ち話をしていると(そのとき僕は上半身ハダカだった。通路はやっぱりレトロな感じで、映画で出てくるどこかの西洋屋敷のようで、ひっそりとしていた。廊下は赤い絨毯で、階段は木造。照明は全て暖色。たまにその廊下を鳴きながら猫が歩いていく。)、彼は「中に入れてよ、ここじゃなんでしょ?」と言った。
その時の僕の警戒心丸出しの顔ったらない。アリーは苦笑して「だめならいいけど、でも僕らここに偶然泊まり合わせた同胞でしょ」と言った。この同胞、というのは英語でFriendで、でもアリーとか僕の知り合いのムスリムがこれを使うときはだいたいbrotherに近い意味になる。仕方なく、僕は招き入れて貴重品のたぐいがかばんの中に入ってることを確かめて一時間くらい会話をした。
日本人女性と仲良くなったのはいいが、連絡が急に途絶えてしまったんだ、どうすればいいと思う? とか、日本ってどんな文化なんだ? とか、こんな眠いときにそんな難しい話、言葉に詰まる話をされたら英語の問題じゃなく、思考力の問題で話せなくなるのは当たり前なのに、アリーはあからさまに落胆して、「モリなら英語強いから、こんな黙ることもない」と言って、それがいやに頭に来て、僕は苦笑してしまった。アリーがそういうのは別に嫌味ではなく、思ったことをすぐ口にするタイプなんだというのは後から知ったけど、でもその時は失礼だなと思った。
最後には僕の目が完全に充血してしまい、そのうちアリーもそれに気づいてくれて、ある程度のところで出ていった。また明日、と言って。


それから次の日は「モリを紹介する」といわれ、ロビーで待たされた挙げ句、僕が出て行く時間になってもモリが来なかったので、僕は「ごめん、行かなきゃ」とアリーに言って出てしまった。
ロビーは二階にあって、広く、やっぱりレトロだった。どこかの屋敷のレストランじゃないんだから、といいたくなるような広さで、椅子もそれなりに豪華なものが使われていた。
窓はなくて、壁は腰くらいまでしかなくて、屋根との間はガラスが入れば窓になる、というような空間があった。たぶん、これを窓というんだろう。そこからはモスクがすぐ前に見えた。


出先からホテルに戻ると、またアリーが僕の部屋に来て、「モリを紹介する」と言って、ロビーに僕を連れていった。
まもなくモリがやって来た。日本人。誠実そうで優しそう。歳は23といったところか。僕より少し上にみえた。
モリさんはアリーの評判通り本当に聡明な人で、話をしていて楽しかった。ひとしきり喋った後、モリさんは先に帰っていって、それに続いて僕は夕食を食べにアリーとも別れた。


最後の夜はアリーと部屋で夜中まで喋っていた。
アリーは日本をどれだけ好きか、とか、パキスタンの人は日本製品が好きだ、とか、家族の話をしたり、日本の主要産業の話を聞いて来たり、更にはお互いの顔が写ってる写真を見せ合おうなんて言い出して、お互いパスポートなんかを見せ合うはめになった。まずいなと思ったときには、彼はもう僕のインドへのビザを見てしまっていて、その途端堰を切ったようにパキスタンの自慢話が始まった。
やっぱりパキスタンはインド嫌いなんだなと思いながら、少し眠くなって来た頭でそれを聞いていた。


アリーは僕を駅まで送ってくれた。
最後の朝、四時に僕を起こしてくれて、その後四時半に一緒に駅まで歩いて来てくれた。
駅まで30分、彼の友達と彼と僕は会話しながらゆっくり歩いた。まだ暗い道路をオレンジ色の街灯が照らしていて、この風景はすごく好きだなと思いながらアリーの話を聞いていた。
向こうについたらメールをしてくれ、日本に俺が行ったときは必ず案内をしてくれ、パキスタンに遊びに来い、短い間でもここで出会えたのは運命なんだ、そんなようなことを恥ずかしさも無くいえる彼のことが、僕は好きだなと思った。
素敵なやつだ、と思った。
駅で握手とハグで別れの挨拶。友達とも(彼とも前に一緒にご飯を食べた)。


なんとなく、それは運命なんだ、と思った。


そんな出会いなんて、滅多にない。少なくとも、日本では。

股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.10

マレーシアに戻ってきました。

色々あって、日本に帰国し、
色々あって、マレーシアに戻ってきました。
明後日インドへ発ちます。みんなと合流できるのはデリー以降だから、まだまだ先の話。一週間くらいか。

たったひと月の間にいろんなことが身の回りで起きて、そしてたったひと月の間に自分の考え方とか生き方すら考えさせられて、それなりに自分で消化して、戻ってきた。濃いひと月弱の期間を、日本で過ごせた。

結局、軒先の紫陽花は咲かなかったけれど、それはそれで仕方なくて、自分以外の命は自分とは別のサイクルで動いていることをなんとなく肌で感じて、出発の前の日にもう一度見入ってから出てきた。


成田からクアラルンプールまでの間、隣に座ったマレーシア人の女性と話がはずみ(というのも、日本で英語を話す日本人と全く出会えなくて落ち込んでいたらしい。だから彼女は僕が英語を喋るや否やとてつもないテンションになり、まくしたてるように最後の二時間、喋り続けた。)、何故かは知らないけれどチョコレートをいただいた。

それが昨日の夕飯になった。

klchocolate_0610.jpg

彼女はペナンで生まれ、ペナンで育ち、日本をとても美しいと感じながらも心の奥底からペナンに帰りたいと思っていたと言った。そこまで故郷を愛せるってすごいなと思ったけれど、それはたぶん自分でも感じない部分で感じてることなんだろうなとも思う。だからあぁやって日本に帰るとなるとき、「帰る」という単語を使うし、事実見慣れた風景を見ればほっとする。それは古今東西同じなんだろう。

宗教の話とか、日本人のおっさんは何故あんなにぐでんぐでんに酔っぱらって電車に乗るのかとか(挙げ句の果てには「それは日本の文化なのか? 習慣なのか?」とまで聞かれた)、いろんな話をしたけれど、その故郷に対する思いが一番印象に残ったみたいだ。


はてさて、道に一度迷い、駅に座っていた男性に教えてもらい、到着したホテル。
反対側の改札に出てしまったから迷っただけで、駅の目の前だった。
駅のホームから徒歩2分。

klroom_0610.jpg

立地の割に安く、そのくせ部屋はなかなかいい感じだった。


クアラルンプール。二回目だけれど、実質一回目みたいなもので、結局今回の滞在も三日だけだから、明日くらいしか何かをするにも時間がない。
だけど、肌で感じるのはどことなく慣れた空気で、違和感を感じないで過ごせる。それが都市の利点なのかもしれない。少し羽を休めながら、インドへの準備を進めようと思います。

kl_0610.jpgpt_0610.jpg


今回の帰国・復帰で様々な助言やサポートをしてくださった関係者の皆様、先生方、また荷物を受け取る際に施設を開けてくださったり、色々お世話していただいたウォンさん、本当にありがとうございました。
頑張ってきます。

続きを読む "マレーシアに戻ってきました。" »
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.03

花(庭先にて)

花一時、人一盛(はないっとき ひとひとさか)花一時、人一盛り」
だとしても、やっぱり季節が巡れば花もまた咲き誇るように、
人の息も季節と一緒にもう一度、強く、戻ってきてくれればいいのに。

洗濯物を干したり、取り込んだりしながら庭の花々を見ていると、そんなことを思う。

庭先の紫陽花は、まだ、咲かない。


ajisai_0602.jpg

続きを読む "花(庭先にて)" »
股旅-gdeh special- > Juni 2006 アーカイブ
06.06.01

Nobody loves you when you're down and out

oy_0601.jpg



 大きな蚊が部屋に迷い込んで、それを捕ろうと起きたら寝付くタイミングを見失った。
 蚊も見失ってしまって、気付けばこんな時間になってしまった。午前四時。

 夕焼けはすとんと落ちてしまうけれど、朝も同じで、闇だった部分は秒刻みに明るくなっていく。でもそれは僕らの眼球では変化をとらえられない速度でゆっくりと変わっていくから、実際には秒刻みなんて思えなくて、こうやってキーボードをいくらかたたいてから窓の外に目を戻すと、また少し明るくなっているという按配だ。
 一服しようとベランダに出たら、取り込み忘れたシャツが揺れていた。
 手ブレでどうしようもないだろう、と思いながら久しぶりに写真を撮った。前回のは申し訳ないと思いつつ、オリンパスのデジタルを持っていなかったから携帯電話で撮った写真をそのまま上げた。だからちゃんとカメラを持って撮るのはかれこれ二週間以上ぶりになる。

 相変わらず、という状況が続いて、でも確実に時間の流れと一緒に事態は進んでいて、もう六月になるというのに僕はその流れに置いてかれたように眠るタイミングをうまくつかめないままでいる。でも体は正直なもので、ちゃんと疲れは感じていて、日によって自分でまずいと思うくらいにこくん、と眠ってしまう時がある。

 話は変わるが、久しぶりにJhon Lenonを聞いた。聞いている。表題の曲。一般的にJhon Lenonといったら「Imagine」とか「Love」とかを思い浮かべるんだろうけど、僕にとってJhon Lenonは表題の「Nobody loves you when you're down and out」で、なぜかというと初めてちゃんときいたJhon Lenonがこれだったからだ。その頃僕はまだ中学生で、僕が写真を始めるきっかけをくれた英語の先生が授業でかけてくれた曲。僕は洋楽にさっぱり興味が無かったからJhon Lenonをちゃんと聞いたことが無くて、初めてこれを聞いたときに感動してしまった。
 この曲は表面的な意味だけで言えば、「あくせくしている自分のことも、落ち込んでいる自分のことも、誰も愛してくれやしない。愛されるのは死んで、墓に埋められる時に、やっとだ。」というようなことで、思春期真っ盛りの少年心はその表面的な意味だけを追って、感動していた。つまりは酔っていた。「僕は誰にも愛されていない」なんて(うそぶ)いてみたり、そういうことを思える自分を、今思えば馬鹿らしいくらいに好き好んで演じたりしていた。
 でも結局それは全部虚像で、例えばJhon Lenonがこの曲を作ったきっかけを知ったのなんて高校二年生のときだし、それでも表面的な意味だけを追い求めて歌っていた。僕はつまり、この曲の意味なんてちゃんと知らなかったし、自分がどういう環境で生きているかも顧みなかった。自分に家族がいて、その家族は自分をどう思っていて、同じように自分には友達がいて、その友達は自分をどう思っているかなんて考えもしなかった。でも今思えば、家族からは愛されて育てられたはずだし、僕は今そう感じているからすごく感謝しているし、同じように高校の時からの友達はいまだに連絡はちゃんととれていて、奴らはすごく頼れる相棒とでもいうべき存在で、それと同じだけ頼られたりするのはとても嬉しい。当然反感を買っていた人も友達の中にはいるだろうし、ある部分からは嫌われたり妬まれたり、というのは普通にあったはずだ。でもそのマイナスを加算しても自分は幸せ者なんだってちゃんと思える。不幸だなんてそんな簡単に言っていいことじゃない。
 「Nobody loves you when you're down and out」っていうのはJhon Lenonが唄った精一杯のアイロニーなんだな、と思う。本当にうちひしがれてしまって、そんな気分になって、でも自分の環境をわきまえてしまっているから「自分は不幸なんだ」なんて泣けない。だからせめて歌で紛らわす。そんなところかな、と思ったりする。僕はまだ二十歳で、全然経験もないし、僕が持っている記憶はとても少ない。そんなヒヨッコが生意気なこと、と笑われてしまうかもしれないけれど、僕はそんな風にこの歌を聴いている。
 だってJhonは最後にこう呟く。「Everybody loves you when you're six foot in the ground」

 僕はその前から、ちゃんと感じれてるし、同じだけの情を出せているはずだと、思いたい。



続きを読む "Nobody loves you when you're down and out" »