小山市
この町が好きだ。
ただの地方都市で、
その中で生まれて、ずっとそこで暮らしてきた。
46年前、母もこの町で生まれて、ずっとここで暮らしてきた。
74年前、祖母もこの町で生まれてずっとここで暮らしてきた。
町の景色は変わる。
けれどこの町はやっぱり地方都市であることに変わりは無くて、
そこから出て行くとき、僕はどんな気持ちになるんだろう。
そこを去っていくとき、 はどんな気持ちを感じるんだろう。
まだ苗は小さいけれど、









九州(僕が見たニュースでは鹿児島だった)が入梅した。雨。僕は好きな天気だけれど、たいていの人は疎ましく感じるだろうし、あの湿度の高い日が続くのは衛生的にもよろしくないだろうから、今年の梅雨くらいは、と勝手に願ってしまう。
無菌状態の空間はやっぱり嫌な臭いが鼻をつくけれど、それにも慣れていくから人間ってすごい。
最近、夜にうまく寝付くことが出来ない日が続いていて、それでいて体はそれなりに疲れているらしく、朝、目を覚ますととんでもない時間、ということがたまにある。体調はよこばいのまま。偏頭痛は日常茶飯事になりつつある。
それでも家事はたまってたりするから、それを一通り片付けてから家を出る。
夜は、僕が帰国するまで一人の夕飯を摂っていた祖父が嬉しそうに「飲もう」と毎晩言うので、それに付き合ったりしている。それでも夕食を作るのは僕の役目だし、そのあと片付けるのも、夜遅くに帰宅する姉の夕食をこしらえるのも僕の役目で、その生活に慣れると、家と病院とスーパーと家との間を往復するのも苦じゃなくなる。
そう、晩酌といえばアルコールに滅法弱くなった。体調のせいかもしれないけれど、最近は缶ビール一缶いかないうちに酔いが回って、困る。祖父はなんだかんだ勧めてくるのが好きな性質だから、それに付き合うと酷い目にあう。それをわかっていながら祖父の顔を見てると断れない。
そんな中、空いた時間は本を読んでいる。友達から受け取ったバンコクのベタ焼きをチェックしてる。書き溜めた文章やらかき集めた資料を整理したりしている。
写真は、撮っていない。
今日、久しぶりに地元の思川の方まで足を伸ばした。別に「自然に触れて感傷的な気持ちを味わいたい」とかいうのではなく、なんとなくその川を見に行った。
僕が一月ごろ、やっぱり家の状態が今と同じ様な時に撮影しに行ったその川は何も変わっていなくて、「なのになぁ」とか勝手に独りごちた。それと同時に「写真撮らなきゃな」とも思った。
撮りたい、じゃなく、撮らなきゃ、だった。
これって自分がどういう状態なのか、自覚していなかったのにさせられるから辛かった。
紫陽花を見せたいと思ったのはその帰り道だった。
紫陽花を摘んで来て見せてあげられたら。いいのになぁ、と思った。
早く咲け。そしてそれが叶うまでは散らないでいてほしいなぁ。
ちょっとワケあって日本に帰ってきた。一時的に帰ってきただけだからまた戻る予定で、家事の合間に復帰の手続きとかをこなしながら、住み慣れた国を今更振り返ってみる機会に恵まれた。
そう思えるだけでも良しとしたい。
帰国したのは17日で、だからもうすぐ一週間が経とうとしている。あの時は自分もいっぱいいっぱいで何も考えられずに、ただかんばしくない体調とかを気にしながらフライトまでの時間をぼぅっと過ごしていた。前の晩にてんやわんやな状態で、その時すっかり五十嵐先生と長坂先生にお世話になってしまって、そのお礼もまともに言えてないなぁと反省したりしながら、雨の飛行場の、自分とは無関係な時間の流れを見つめながら、保坂和志さんの「季節の記憶」の一節を思い出していた。それはちょうど表題の「季節の記憶」という単語が出てくるシーンで、主人公の中野と近所に住んでいる松井さんが「人間は言語で出来ている生き物だ」というような話をしている。その中で、
「『言葉にならない気持ち』と言ってしまうと、気持ちが先にあってそれを言葉にしていくみたいなことになってしまう。みんなたいていそう思っているけれど本当は逆で、気持ちよりも先に言葉がある。(中略)人間は言語が先立つ動物のはずなのに、その言語から気持ち以前の何かが洩れているようなことを感じることがあって――」
そこからだいぶ後に、
「こっちの失恋と世界はまったく無関係に動いていることを知らせる朝陽の明るさとか――」
という風にその話は続いていくのだけれど、その、自分とは無関係な時間の流れを見ていると、自分の気持ちがそんな風に咀嚼できていくのがわかった。
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つまりは自分の抱えている不安とか、期待とか、そういったものを全部言葉にしてしまえば、それなり落ち着くことができるんだなぁと思ったわけだ。
久しぶりに日本に帰る。
それでも気分は当たり前だけど晴れやかではないし、体はぐったりと疲れていて、そのフライトはたまたま空いていて、僕は窓際の席だったのだけれど隣に座る人はいなくて、僕は二席使って眠ってしまっていた。そしてふと目がさめた時に何気なく遮光板を開けてのぞいた空は抜けるように青くて、まぶしいのと、綺麗なのの両方にそれとなく感動して、それからまた飛行機に乗る前と同じことを考えた。つまり、言葉になってないんだなと自分で気付いたから、動揺しなくて済んだんだと思う。
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日本に着くと、温度差があると思っていたけれどそこまで寒くは感じなくて、すぐに慣れてしまえた。京成線の窓から見る久しぶりの日本の夜景はいつも通りで、帰ってきた、という気持ちは起きたけれども、それに感動するとかではなくて、その日本家屋の小さな姿を見ながら、みんなどうしてるのかな、とマレーシアに思いを馳せてみたりしてしまった。
とりあえず、家に帰ると、部屋がなくなっていた。物置にされてしまっていて、それから五日間くらいそれの片付けとかで時間はつぶれていった。
そして落ち着いて考えるのはいろんなこと。それを当たり前のことのように言葉に置き換えていけるようになった日々を、無駄にしないように過ごそうと思う。
最近、グレイプバインの「Here」というアルバムを聞きたくなる。その一曲目の「想うということ」という曲が聞きたい。
「君が誰かを想って 生きてるなら」という歌詞があるはず。うろ覚えだけれど、その節が聞きたいとペナンに来てから思っている。誰かを想うって、どういうことなのか、最近わかりかけていたのに見失った気がしたからだと思うけれど、時折感傷的な気分になるとこの歌を口ずさんでるから、たぶん疲れてるんだろうと思う。
「いつになく 優しく振舞えそうです」
思い出深いのもあるんだろうけど、今はそんな気分じゃなくて、ただそう「優しく振舞えそう」な自分を保ちたいんだなと。そんな風に思う。
けど、そんな簡単にできることじゃなくて、それもわかっていて――。そんなことを一々思っている。
頭の片隅にこんな思いをめぐらせながら、今日はホテルの周りの教会とか、そのあたりを歩きながらフィルム三本撮って、帰ってきた。明日はクアラルンプールへ向かう。晴れるといいな。

今朝、同じクラスの早川さんと前田さんと三人でカトリックのミサに行ってきた。三人の誰もがクリスチャンじゃないけれど、そんなのは別に関係なくて、その独特の雰囲気を見たり感じたりするのが好きな三人だから、気楽に座っていられた。前にもどこかで書いたことだが、僕は一神教とか神の存在とかを全く信じていない無神論者で、むしろ否定してしまうのが楽というか楽しいというか、そういう程度にしか考えていない。だから前にムスリムの友達が、
「うーん。ナオの言ってることは理解できるけど、納得はできないな」
と言ったのは当然のことで、たぶんそれは一生かかっても埋まらない隔たりなんだろう。だからといって固執する必要もないし、religionを持っている人はそれはそれで素晴らしいと思うし、持っていない人もそれはそれで素晴らしいと思う。
「でも、山市君はどちらかと言うと、そういう宗教の雰囲気とか好きだよね。宗教自体の否定とかはよくするけど」
みたいなことを早川さんにも言われた。そのときはそういう話をしていたから気にならなかったけど、日本人は大抵「宗教を認識していないけど/否定しているけれど」というどちらかの前提(といってもたいして違わない)に立った上で、「宗教の雰囲気が好き」な人と「やっぱり宗教の雰囲気が嫌いな人」に別れているんじゃないかと思う。これは僕の偏った意見だから「そんなことはない」と否定されるかもしれないけれど、僕は勝手にこう思っている。
で、僕がそんなことを考えてるうちに三人で「朝ごはんを食べよう」ということになり、大通りに出た。ブロックをひとつ過ぎたあたりで人だかりが見えて、
「どうしたんだろ」
と前田さんが言った。近くにいたポリスマン(地元の野次馬と車に寄りかかって喋っていた)に聞いてみると、
「デモだよ」
と言って笑った。日常茶飯事、みたいな感じで余裕な表情だった。ムスリムの群集がシティテルとかいうホテルの前で何か叫びながらカードを振りかざしてる。「こんなホテルの前でデモしたってさぁ・・・」とか僕は思ってしまうのだが、彼らは必死で、
「俺たちの権利を踏みにじるな」
みたいなプラカードの文句を叫び、最後には全員が拍手して散り散りになってしまった。終盤だったのね、と思ったが、僕たち三人は黙ってみていて、カメラすら出さなかった。周りの野次馬の中には本当の記者もいて写真を撮っていたけれど、僕たちは何もしなかった。
それからご飯を食べて、僕は前田さんと早川さんと別れた。
ここからが今日の悲劇の始まりだった。
徒歩約四時間。しかもビーサン。馬鹿だ、自分。
まずホテルの前の大通りをコムタ(ランドマークタワー)のほうへ歩きながら撮影を開始して、ぶらぶら横道に入ったり戻ったりしながら30分くらい歩いて、コムタに着いた。

キュートな家や、車、静かな町並みがすごく新鮮で、楽しくてつい、予定を変更して、コムタの前を左折、つまり東に折れてずっと歩き続けた。そうすると、中国語の看板が目立つようになり、チャイナタウンみたいな感じで、でも栄えているという感じではなくて、やっぱりここも静かだった。

それから、昨日コムタの展望台から見た風景を思い出して、ホテルが建設中のエリアの方へ行ってみようと、自分の宿の方に向いた足をまた南東に変えて歩き出した。島だからか、そこまで暑くなくて、ぶらぶらと歩き回るのにはちょうど良かった。そしてその大通り(つまり僕の宿の前で最初に歩いた道と交差する道)に出たあたりで一時間は経っていた。でも元気な脚は歩く歩く。周りにいる人も外国人ではなく、むしろ地元の人ばっかりで、僕を見る目が少し、好奇心の浮かんだ目になっていた。このくらいがちょうどいい。
そのうち、気づけば工事現場の目の前に出ていた。



そこでも人は暮らしていて、スラムのすぐ隣で工事が行われていた。
スラム、と一言で言っても、カンボジアやタイで目にしたそれとはまた違って、失礼な言い方をすれば少しぼろい民家、が立ち並ぶ区域だった。スラムではないのかもしれないけれど、明らかに貧しい、というのがわかった。工事現場とは反対側のすぐ隣に聳え立つ高層マンションにも人は住んでいて、洗濯物を干す、という同じ行為をしているにもかかわらず、やっぱり高さとか貧富の差は出てきていて、そのコントラストが、こんなところで見れるもんなんだなと、感慨深く思ったりもした。でも、そういう風景はフィルムカメラに夢中だったから、こっちのデジタルでは撮っていなくて、言葉で伝わるかが不安なところだったりする。
そらから大きな通りに出て、でもまだ開通していないらしく、つまり名目上建設中の新しい道路の上を歩いていた。コンクリートの匂いが鼻をつき、焼けたようなその臭いがなんだか懐かしくて、嬉しかった。



それから「この通りを越えたらタクシーでも拾って帰ろう」と決め歩き出す。
橋の上から下を見下ろして、川にワニがいるのに驚いたり、遠くに見える石油精製工場みたいな赤白の縞模様の煙突が懐かしく思えたり、道路の中央分離帯の溝を手作業でコンクリートで埋めている人に出会ったりしながらのんびり歩いた。
そう、のんびり。。。二時間!?
最初の20分でその大通りは越えてしまって、気づいたら制限速度80km/Jの表示の大通りの中央分離帯を歩いていた。明らかにハイウェイ。JというのはJAMで、HOURの意味だと言うことを今朝前田さんに教わっていなかったら、そこがハイウェイだなんていう推測も出来なかったに違いない。
タクシーなんて通らない。見つからない。見つけても客をすでに乗せている。
「やばい。もう疲れて歩きたくないんだけど」
と思ったときには既に手遅れで、地元の人に聞こうとしたら、最初に聞いた相手が聾者で、すごく申し訳ない気分になって、それから20分歩き、それでもハイウェイを抜けるわけなんて無くて、また戻ってきて(つまり40分)、違う人に聞いてみたら、
「こんなとこ、タクシーいないぜ」
と言われた。脱力。
ヒッチハイクでもしようかと思ったけれど、頭によぎる先生の言葉。
「麻薬の取締りが厳しいから、もし同乗者が麻薬なんて持ってたら、一緒に逮捕だよ。だからヒッチハイクはしないよーに」
休もう。とりあえず休もう。疲れてるんだ。体力さえ。。。と思ったら、ビーサンなんかはいていたものだから、足にマメが出来ていた。馬鹿だ自分。
歩きたくない。という一番の欲求に素直に従い、道端にしゃがみ込んでカメラを片付けた。
そうやって待っていると、何台かの車が通り過ぎてその倍くらいのバイクが通り過ぎた。その度顔を覗かれた。不思議なんだろ。ハイウェイに外国人がしゃがみこんでるのが。
――と、そこに一台の赤いトラックがクラクションを鳴らして止まった。
「Hey, What are you doin'?」
みたいなことをマレー語で言われたって理解できるわけ無いじゃない。でも、彼はジェスチャーで乗れと合図した。僕が「英語喋れる?」と聞いたら、
「ほんのすこーし」
と、親指と人差し指でちょびっと、のジェスチャーをしながら言った。
「道に迷っちゃって(実際迷ったのではなく、遠くまで来過ぎただけなのだが、面倒でこう説明した)
このホテルに帰ろうと思うんだけど。ジョージタウンのさ。」
「ジョージタウン? すぐそこだよ」
「え?」
「このホテル。住所。。。うーん。。。」
「あ、(昨日のコムタのチケットを見つけて)
このタワーの方。ここからなら歩ける」
「あぁ、コムタ、ね。
OK。乗りな」
「ありがとう!」
みたいな会話を単語だけの英語で交わして、僕はそのトラックの助手席に座った。日本でいったらポンコツみたいな車なんだろうけど(窓が無かった。さすがにフロントガラスはあったけど、足元から地面が普通に見えた)、今の僕には救いの神だった。
「助かった」
と日本語でため息を吐いてると、
「Chinese?」
と聞いてきた。
「違うよ」
「じゃぁタイ?」
そこまで日本人に見えないか。と落胆しながら「Japanese」と答えると、すごく嬉しそうに、
「なんだ、日本人か。
ここはハイウェイだから歩きで一人で来ちゃだめだよ」
見たいな事を言われ、それから「吸う?」とマルボロライトを一本くれた。
それから彼はがんばって話すのだけれど、「good」とか「へぇ」とか「ah-hah?」とか相槌を打つだけで言葉が返せない。そのくらい何を言っても通じなかった。でも、やさしかった。「俺はこれからあの工事現場に行かなきゃいけないんだ」と指差した方向は僕が通ってきたほうで、コムタとは途中からもう正反対の方角になっちゃったし、彼が僕にしてくれる「一人で来たの? 夜とかは気をつけて歩いてね」みたいな警告とかは、言葉に出来ないくらい嬉しかった。
そしてコムタに着いて、握手をして別れた。彼は僕が手を差し出したとき、「No!」と言ったのだ。お金を差出したように見えたんだろう。実際お金は請求されたら払おうと思っていたけど、そう思っていた自分が恥ずかしくなった。降りてから、「お礼――」ともう一度思ったけど、その握手と、心を込めた「Thank you」がいえればいい気がした。
昨日の続きで、ペナン島に来ている、という話。
昨日のウェブログの中でマレーシアの景観はイスラムの影響が強いと言ったけれど、それは景観だけではなくて当然そこに住んでいる現地の人たちだってそうで、肌を露出しないあの独特な格好をしている女性がたくさん目に付く。僕はそこまで気にならないんだけれど、たぶんイスラムの人たちから見たら日本人の女の子がタンクトップとかで歩いているのに違和感を感じるのかなと思ってみたりした。でも、いろんな宗教の人のいる国だから、案外慣れているのかもしれないとも思った。
町は高い建物(ホテルがほとんど)がちらほらとあって、他は幾何学的な模様の施された独特な建築様式の比較的背の低い建物がずらっとならんでいる。合間合間に廃墟みたいなところもあったりするけれど、それはその民家とかの間にあって、注意してみないとそれとわからないものもある。
話は変わるけれど、植物はすごい。もう回帰線を越えたのはだいぶ前の話で、もうすぐで赤道までいける。かなり南下してきた。そして感じるのは植物のたくましさ。幹が違う。葉も違う。花も違う。色鮮やかな植物がどこにいても目に付いてしかたない。これは町が田舎とかそういうことじゃなく、たとえばバンコクみたいな大都会だってそうだった。ふと目を落とせば花が咲いてるし、街路樹の葉の茂り方は尋常じゃない。とてもキレイだ。見ているとやっぱり落ち着くのは人間の感情とかじゃなく、動物の本能みたいなところに直接何かが感じるからなんだろうと思う。

ランドマークタワー。ここからペナンの町(ジョージタウンだけだけど)が見渡せる。高所恐怖症の僕は、例によって友達が見下ろしたり、ガラスにへばりついて風景を眺めているのを数歩後ろから見ていた。
ホテル。スラム。橋。工事現場。木。海。ディオラマみたいに広がる町はオレンジ色の鮮やかな屋根を僕らのほうに向けていてきれいだった。でも、そこから俯瞰する風景は現実味がわかなくて、ただ怖いだけだった。むしろそのタワーの中の放置されている部屋や、そこで楽しんでるインド系の家族連れを見ているほうがずっと現実的で、僕はこういう方が見ていてなごむ。
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明日からはしっかり撮影しようかなと思った。でも、とりあえず、体はそれなりに疲れているみたいで、だから焦るとかじゃなく、気合を入れるとかじゃなく、気楽にのんびり歩いてみたいと思った。
それにしても、やっぱり僕はイスラムの雰囲気は好きなんだと思う。
モスク、もし日本人(しかも無神教)でも入ってよければ入って見学してみたいと思う。のは、贅沢だろうか??
みんなで電車に乗ってはるか遠く、マレーシアを目指す――
なんていうのは電車に乗るまでの話で、実際乗ってみると案外快適なもので、「はるか遠く」なんて感じはしなかった。そうはいっても車内は狭くて、僕たちは荷物をたくさん持っていたものだから、通路に荷物がはみ出さないようにするだけで精一杯だった……気がする。
距離にして換算するとよくわからないのだが(というか言われてもピンとこないのだが)、時間にしたら大体丸一日の時間を電車の中ですごしたことになる。他のメンバーは今までの旅の中で列車移動を使っているらしいのだが、僕は今回が初めてで、今まで飛行機とかバスとかに逃げてきていたんだなと今更思った。それでも日本で学校に通っていたときは高校からこの専門学校までずっと電車通だったし、小山(栃木県)~渋谷(東京都)まで90分以上電車に毎朝毎晩乗っていたことを考えてもやっぱり遠いし、でも少しは慣れてるのかなとか思ってみたりもした。乗換えがないというのが唯一の救いで、僕が実家の小山から京都まで10時間もかけて鈍行で行った事があるのを(しかも一回とかじゃない)思い出した。あの時は何度も終点始発、と乗継があって面倒だったのを思い出した。日本語だからいいけど、タイ語とかマレー語なんてわかりっこない。乗り継ぎがあったら悲惨な結果になっていたんだろう。それはそれでおもしろいけれど。
ところで、この列車では寝台列車ならでは、ちゃんと夕食と朝食が出た。僕は慣れたのか、それとももともと味覚に鈍感なのか、おいしく食べることができたんだけど、たとえば中には「このスープおいしくない」とか、「このジュース甘すぎ」とか言う人もいて、それは確かにそうで、おいしくないのは確かなんだけど、僕は全然平気で食べられる。これはやっぱり慣れなのかなと思った。というのも、実際この味付けを毎日食べてる人たちがどこかにいるはずだし、インド料理とかタイ料理とかそれは僕らからしたら何日かで飽きるんだろうけど、それを食べている人たちがたくさんいて、それが民族として認識されていて、だからそういう料理があるんだと思う。こう言うと原因と結果が逆になってしまいそうな気がするから断っておくと、その料理がそこで主流になったのは地形とか植生とか気候なんかも関わっていて、なにもそこの人たちがその料理が好きだからそうなったわけではない。たとえばアジアでは米が主流で西洋では小麦製品が主流だけれど、それはその気候とか植生が大きく関連していて、雨が多い湿った気候じゃないと米は良く育たない。アジアの人が大人数家族なのは米のほうが一つの苗から採れるカロリーというか食料が多いからで、別に子作りが特別好きとか宗教上の理由とか、そういうことはもっともっと後になってから出てきた違いだと僕は思う。食べ物があれば子供を養えるし、食べ物が少なければ必然的に子供は少なくなる。それによって「家族計画」(僕はこの単語は嫌いなのだが)なんてものが国とか地域とかによって変わってくる。
話はだいぶそれてしまたけれど、料理の話。やっぱり慣れなんだと思う。その味に「慣れ親しんだ」からきっと「好き」になるわけであって、「どの料理が好き」っていうのはあるだろうけど、「どの味が好き」っていうのは慣れの問題な気がする。たとえば僕は甘いものが余り得意ではなかったけれど、みんなが「このジュース甘すぎる」と言って飲み残したジュースも、普通に飲めるようになってしまっていたりする。
そんなこと考えているうちに電車はバタワースについて、それから僕は先生一行の後についてペナンに来た。東の空気はなくなりはじめていて、もうイスラムの影響が強い地域に来たんだなと思った。
今日、ホテルをチェックアウトして、みんなが集合するホテルに一足早く移った。
チェックアウトする時に小さな人形みたいのを「記念にどうぞ」とくれたレセプションのおじさんは今日も笑顔で、それでいて僕のスケジュールとかそういう個人的なことは一切話題にすることなく、「天気いいね。よかったね。またね」と遠い話題を少しだけ掠めて、手を振ってくれた。まだチャイナタウンに二日くらいいるんだよなぁとは言えなくて、とりあえず愛想笑いではない笑顔で手を振り返した。
それから集合ホテルに着いて、ゆうべ着いてしまっていた荒金氏とコンタクトを取って、チェックイン。
部屋で荒金氏が来るのを待っていると(彼はゆうべ違う部屋に泊まったらしく、荷物整理とか部屋移動の手続きで結構忙しそうにしていた)、ホテルの掃除の人がノックもなしに入ってきて、簡易ベッドを組み立て始めた。今日はその部屋に三人で泊まるからで、そのもう一人の今泉君はまだ来ていなかった。とりあえずそういう時にどうしたらいいかわからない僕は結局その人がベッドメイクを済ませるまでその様子をボーっと眺めていて、それから何かタイ語で喋って出て行く(いやそうな顔をしていたから小言でもふっかけられたのかもしれない)おばさんを見送り、それからテレビのチャンネルを適当にまわし、退屈して消して、部屋を眺めた。
比べたくないけど、サービスの質が違うと思った。集合用のホテルも悪くはないんだけれども、やっぱり昨日までのホテルの居心地は良すぎた。ある旅行ガイドブックには「改装されたばかりで綺麗。フロントも感じがいい」としか紹介されていなくて、それを見たときは、「もっと紹介するところあるじゃん」とか思ってしまったくらいだ。(というのも、僕がこのホテルを見つけたのはNKC佐藤さんが以前にみんなに教えてくださった某サイトからだったから、ガイドブックは宿泊四日目くらいに初めて見たのだ。この場を借りて。佐藤さん、ありがとうございました。あのサイト、すっごく役に立っています。)
部屋の雰囲気は木の家具と白の壁で綺麗に統一されていて、部屋の窓は大きくて眺めも素敵だった(この眺めはたまたまで、違う部屋からだと向かいの棟のレストランしか見えないところもある)。その大きな窓も開けることができて、清々しかった。その風景はこの間のブログの最後あたりに載せた夕暮れの写真で、僕はそこから見える寺院と遠くのビルと目の下に広がる庶民的家屋の配置がたまらなく好きだった。それはいいとして。部屋はこんな感じだった。




欠点はといえば部屋に冷蔵庫がないのとバスタブがないことくらいで、僕みたいな無粋な男が一匹泊まるには問題がなかった。他の部屋を見ていないからなんともいえないけれど、いえることは冷蔵庫は部屋によってはあるし、バスタブももしかしたらツインとかのもう少し広い部屋になればあるのかもしれないと思う。
それからレストランの料理がヤバイ。そこらへんの中級レストラン並みの味を出しつつ、値段はそう高くない。僕が軽く腹八分目にするためには100バーツあれば十分で(日本円で約300円)、そこにもう一品つけても150バーツでお腹いっぱいになってしまう。それでいて店員さんは馴れ馴れしくないし、サービスも日本のレストランと変わらない。
そして驚いたのがメニュー。の写真。すっごく上手かった。バンコクにきてから何度かいろんなメニュー表を見てきたけど、そのほとんどは写真が雑か全くないかで、時々上手なのはあったけれどすべてのメニューを写真紹介してるわけではなかった。その点でこのレストランのメニュー表は食欲をそそる。あれもこれも、と頼みたくなってしまうけれど、だいたいこういうところのは一品の量が多くて、大抵一人で頼むものではない。だからいつもチャーハンとかヌードル系で済ませてしまうのだが、実物を見たい・食べたいと思わせる写真は久しぶりに見れて、気持ちのいいものだった。(後から気づいたのだけれど、レストランにあった客が使うためのパソコン(1バーツ/1分)にはなんとフォトショップCSがインストールされていてびびった。)レストランの場合、住み込みで(というか家族で)経営しているみたいで、娘さんが二人いて、双子みたいにそっくりでどっちがどっちか十日滞在してもわからなかったけれど、あのドライな対応の仕方は見ていてすごくよかった。
とかそんなことを考えながら荒金氏と別れ、シーロム通りで五十嵐先生を発見し、その時なんとなく今日はそのホテルを宣伝しようと思って、ネットカフェに立ち寄ってこんな日記を書いている。
明後日にはもうこの町を出て行くけれど、またくるかもしれないその時はまたそのホテルに滞在しようかなぁとか思わせてくれるホテルだった。(といっても、僕はそういうところになんだか保守的らしく、一度使ったことのあるレストランとかホテルとかでひどい目にあわなければ、そこを二度目にも使う癖というか習性があるから、それは評価というより、多分その癖が出ているだけだと思う。)

何?
何て言ってるの?
気さくに話しかけてくる少年の笑顔には裏が無いように見える。
カメラのジェスチャー。
撮れって? 君を?
違うらしい。
カメラを向けたら、慌てて手を顔の前で「違う」という風に振って、線路が高速道路の高架と木と民家の影に切れている方を指差して、またカメラのジェスチャー。
そうしていると彼が指をさした逆の方(つまり僕が歩いてきた方)から幼い子供が二人、線路の上を歩いてきた。僕が彼らにカメラを向けると、女の子の方が顔を両手で隠して、恥ずかしい、のポーズ。その向こうにはやっぱりBTSの高架と民家とあと木とかの植物の向こうに地平線と一緒に見えなくなる線路。
つまるところ、僕は線路の上にいた。
BTSのPHAYA THAI駅のすぐ下を走る国鉄の線路。はるか東へと続く線路がどこまで延びているのか詳しくは知らないけれど、もしかしたらこれは国境付近まで行っている線路なのかもしれない。そしてその線路を僕は西に向かって歩いている。
線路上なんて危ないから歩くものじゃない、とは日本だろうがどこだろうが同じかもしれないけれど、そこを歩きたいという欲求は古今東西変わらない気がする(古い映画のシーンで、線路伝いに歩いていく後姿、というベタなイメージが僕にはある)。そして、タイで日本の電車みたいに休みなしに電車が走っているのはBTSや地下鉄みたいな人がなかなか立ち入れない場所だけなものだから、国鉄の線路なんて格好の餌食だ。
僕は最初その線路は廃線か何かだと思って入り込んだのだ。
というのも、その線路に沿って今にも倒れそうな民家が建っていたり、廃墟みたいな瓦礫があったりしたからで、その細い通りをバイクすら入っていく始末で、僕は安全に通れる廃線か引込み線みたいなものだと勘違いした。


彼はもう一度同じ方向を指さした。
携帯電話で誰かに話しながら、僕にも話しかけるなんて器用なことをやって、右手には煙草を持っていて、すぐそばに出てきたもう一人の少年と交互に吸っている。
海外製の高めな煙草を持ってきたら喜んだかな、とか考えてしまったのはきっと傲慢がどこかにあったからで、でもそんなもの持っていなかったから、彼にそのことを覚られずに済んだ。
その線路沿いにあるのはバンコクに旅行しに来た人からすればスラムのような町並みで、はっきり言って若造一人で通る場所じゃない。外国人というだけで注目の的だし、今日みたいに色んな思考を停止させようとヘッドフォンなんかつけて歩いていると、その目は奇異なものを見るような興味にあふれた色に染まる。
僕は何もコミュニケーションを拒否するためにヘッドフォンをつけて歩いていたわけじゃなくて、目の前に広がる光景に対して小難しいことを考えるのを妨害するために敢えて音楽を耳に突っ込んでいたわけで、何か話す時や、人にカメラを向けるときはヘッドフォンをはずしていた。
現に彼は僕と通じない会話を続けている。
しばらくすると、彼の指さした方(つまり西側)からゆっくりと、列車が姿を現した。
この線路沿いを走るバイクよりもゆっくりと、とろりとろりと走る列車を見て、彼はもう一度僕にカメラのジェスチャーをして見せた。
つまり、これを、撮れ、と? 君はずっとそう言ってたの?
身振り手振りだけでそう訊いてみると、彼は親指を立てて笑い、今度はさっきの幼い子供二人に注意のような声を大きくかけ、煙草を燻らした。
列車の中には外国人と、タイ人とが一緒に乗っているように見えて、みんな進行方向を向いて座っていて、それは見えるのだけれど、その分厚い窓ガラスで仕切られた列車の中と、今僕が立っているスラムとは隔絶されてしまっている世界なんだと思った。
別に同情を向けるわけじゃないけれど(そういっている時点で同情しているのは十分わかっている前提で)、ここに住む彼らは江戸時代の士農工商で言えばその下に位置づけられているような場所に身をうずめなければいけない人たちで、僕とはたとえ言葉が通じたって意思疎通はなかなかできるはずがない。
そもそも人間は一人一人の脳が一人一人の固体の中に分け与えられていて、みんながシナップスでつながってるわけじゃないんだから、たとえ同等の人間同士でも理解し合えるはずなんてありえないけれど、でも、ここで言いたいのはそんなことじゃなくて、世界(便宜上「世界」というけれど、世界に対する見方のことだ)がまったく違うんだということだ。多分僕は列車の中の人たちの部類のほうが近く感じられる。つまりこのスラムの人たちからすれば異端とか、異邦人とか、奇異な存在にしか写らないのは当然のことで、だから僕からしても同情の色とか甘さとかをなくしてしまえばそんな風に見えるんだと思った。
列車が見えないところまで走り去ると、そこはさっきあった静けさに戻って、彼は僕に笑んで、何か言った。
僕がわからないで、その発音を繰り返そうと頑張っていると、
「go homeだ」
と言った。バイバイ、という意味なのか、危ないから帰れ、という意味なのか、ここはお前の来るようなところじゃない、という意味なのかわからないけれど、その笑顔に、とりあえずバイバイと言って、僕は手を振った。
そこからまた大きな道路(さっき見えた線路の切れる高速道路の高架下)に出ると、もうそこは都市の喧騒だった。
排気ガスが滞って白くかすんで見える。
今日バンコクは曇りだから、高架下は夕方みたいな暗さ。テールランプが明るかった。

それから高架下を道沿いに歩いて帰る途中、犬に一度吼えられ、ペットボトルとかを集めてるバイクのおじさんと目が合ってすれ違い、ホテルへ帰った。






今日はMRTのPhetburi駅からSukhumvit駅の間にあるオフィス街をお昼時に歩いてきた。
その時間を狙ったのはオフィスから働いてる人がわらわら出てくるからで、予想通り歩くオフィスワーカーたちは思い思いの足取りで露店のフルーツを買ったり、セブンイレブンを素通りして食堂に入って行ったりなんかしていた。
セブンイレブンから出てきたのはお坊さんで、オフィスワーカーの間を歩いていた。
僕が今まで持っていたThailandとかBangkokのイメージはといえば、誇りっぽい街だとか、お坊さんがたくさんいるとか、お寺が中心にあるとか、そういう古臭いものばかりだったけど、今目の前に広がるのはハイテク化の進んでる町で、誇りっぽいのは確かだけど、それは不快なそれじゃなくて、都会のそれであって、確かにお坊さんはたくさんいるけれど、だからといってスピリチュアルな雰囲気なんてなくて、つまり一言で言ってしまえば普通の街だった。
僕らが東京とかで目にするのと大して変わらなくて、そこにあふれる言葉の種類は違っても、異国に来たなんて思ったら失礼な気がする。というのも、一概には言いたくないが基本的に僕らが「異国」として見るアジアは発展途上の第一印象が強すぎて、どうしても日本と比較しがちだ。確かにカンボジアみたいに本当に発展途上と呼べてしまうRegionもあるけれど、それでいたって一般的に思われているよりずっと進んでいるし、だから僕は都市を撮りたいなんて言える。
東京と何が違うかといえばそれの土台の文化くらいで、結局表層とかだけの問題にすれば何も変わらない。
だから僕は都市を撮りたいなんて言えるんだと思う。
とりあえず、ネットカフェに射し込む強すぎる西日をどうにかしてくれさえすれば、この暑い都市ももっと快適になってもっとのんびりいられるんだと、そんなことを思ったりしながら、尻切れトンボに今日の日記を締めようとしている夕暮れ時。
ぞお。
昨日からこのネタだけど、zooはぞお。
まぁ、それはいいとして、今日バンコクにある動物園に行ってきた。
もともと、動物園は好きじゃないんだけど、海外の動物園はどんなものなのか、興味がわいて、いってみることにした。誘ってみたら前田さんも来てくれるということになり、一緒に行動。
最初の印象。
動物園? ここ、公園じゃないの??
みたいな感じだった。
あふれる開放感と、緑、緑、緑。
そして平日だというのに多い家族連れ。
なんだここは。
僕は動物が狭っちぃ檻の中に押しやられて、いかにも見世物風になっているのが嫌だった。
それを見て、満足げに、その動物を知った気になっているのが嫌だった。
だから動物園が嫌いだったんだけど、
その後者のほうはここの動物園でもいえるんだけど、
前者の要素がおもしろいくらいに見当たらなくて、広いわけじゃないんだけど、檻に押し込められてる感じもなく、どちらかというと、人と動物の距離が近くて、熊もすぐ目の前で、檻の網越しじゃなく見れた。さすがに堀はあって、こっちに熊が出てこないようになってたけど。
いいなぁ、って思った。





爬虫類はやっぱり愛すべき存在ですね。
やっぱり動物園はあまり好きじゃないけど、
こうやって国とか文化によって雰囲気がこんなに違う。
そういうもんなんだよなって改めて思ったり。
楽しかったです。ありがとう、前田さん!

そうそう、お坊さんも動物園、来るんですね。
初めて知って、初めて感動して、まぁ、でも楽しみはなきゃなぁとか考えてそんなもんかとも思ったり、しました。
バンコク。
東南アジア有数の大都市。
の中で、撮影を始めたのは昨日。
歩いたのはほんの数キロ。
その中にあったのは灰色の風景。
緑色の草木。
色とりどりの花。
人。人。人。



大都会に来たけれど、そこにもやっぱりまだ静かな生活が確かに息づいていて、少し安心してしまった。
それがいいことだとは言わない。
ただ、僕が見ていて、ほっとするだけ。
そんな暮らしとすれ違えた。



都市、の下にあるスラム、みたいな風景の中で、彼らはちゃんと優しい笑顔をしていた。
気持ちよかった。
話しかけてくる人の言葉はまったくわからない。
僕が英語で話をしたってまったく通じない。
でも、彼らはそれで満足するし、楽しんでる。
おそらく外国人が足を入れる場所じゃない。百歩譲って足を踏み入れたとしても、彼らにとっては部外者でしかなくて、その生活を垣間見ることしかできない。理解はできるわけがない。
でも、そこに住む彼らはそこで生きている。
ほんの数キロ、また歩けば喧騒の中に僕は迷い込んでいく。
多分、それはこの国だけじゃなくて、他のどこかでも同じことが言えるんだろう。
そう思いたい。