Lines of Sight ~それぞれのアジアへの視線~

「なんとなく」



最近、「なんとなく」という言葉を考えている。
意味は「特に理由もなく」という感じなんだろうけれど、その「なんとなく」という感覚はいったいどういうもので、その感覚に基づいて写真を撮るっていうのは、どういう感じなんだろう、と疑問に思っている。



先日、車を飛ばして、夜中の三時頃に静岡市に入った。たいした目的があったわけじゃないけれど、でもこれも撮影したい、って思う場所があったからだ。でも、それを調べて行ったはいいけれど、見つけることができず、時間と体力の残り具合から、明け方には引き返す形になった。
その車中でずっと考えていたのも「なんとなく」についてで、ふと、ここ半年、撮影に行く時は車で行くことが多かったことを思った。それも一人で行くよりも誰かを乗せて行くことの方が多かった。
しゃべっていれば居眠り運転はしないし、緊張感も違って、その方がいい、と思っていた。
でも、こんなに運転中に考え事をしていたのは初めてで、それだけ運転に余裕が出てきたのかといえばそうでもなく、ただ単に、一人で撮影地を探している、という状況に身を置こうとしてこなかっただけだと気づいた。
愕然とした。
今までの撮影の中で、「シャッターを切る」と「シャッターを切る」の間の時間は何かしら考えていたし、その何かしらの大部分はその撮っている写真についてだった。
テーマや方向性を「咀嚼する」というのは、何度も考え、何度も吟味し、何度も疑い、何度も迷い、何度も頷いて、何度も考え…の繰り返しだった。
それが抜け落ちていたんだ、と思った。

今、新しく見つけたきっかけをつなぐように、写真を撮りに歩いている。でも、これは元々ある風景を探しに行く旅みたいなもので、発見、というより、捜索に近い。考えれば今までもそうだった。
それが楽しい。
「なんとなく」で写真を撮りに行けないから、こうなんだろうけれど、僕の写真をつなぐのはこんなことなんだろうな、と感じた。


明日もまた、カメラを担いで都内へ出てみます。

Tokyo days 2010

そろそろ5期生も出発、という時期に、地味にブログ更新を開始して、
2回目。


3月1日、昨日は先生と話した中で出てきた街を、35のカメラ持ってぶらついてきました。約3時間。行って良かった。今週末に時間を作って必ず行きたい。もう一度。
迷いよりも行動。その話を最初に先生にされたのは僕が専門1年生の時。2回目にされたのがついこの間。成長してるようで何も変わってない自分に苦笑い。進んでるつもりが、でも、そうやってぐるぐる回って、同じ場所に帰ってきたとしても、少し違っているから、やっぱり違うんだって思える。


迷って、何も撮れなくなった時程、今はシャッターを切るようにしている。




ロケハンという名の徘徊を終えた後、渋谷の学校に立ち寄って小用を済ませ廊下でギャラリー案内を見ていたとき、402教室から明らかに「奥だ」ってわかる笑い声が聞こえて、出てきた人を見たらやっぱり奥だった。そのまま流れで一緒に東横線に乗って、菊名でご飯を食べに行こうと、ファミレスに入りかけたとき、奥が「君島さんとここで前に食べた」的な発言をしたので、君島に電話をして、珍しい3人組がそろった。





先生曰く「しみったれトリオ」。
それからひと時、話が盛り上がった後、約2時間後かな?お開きになって、帰り道、この間書いたばかりのことを思い出し、やっぱりNPIにはちょくちょく行くべきなのかなと感じた。