マレーシア語学留学特待生 Weblog

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徳田 敬太 の アーカイブ

タイプーサム 2010・その2

  
タイプーサム 2日目
 
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ホントは夜中じゅう行列を組んだり、何かやってるらしいのですが
なんせそこまでの足がないので早朝の空が明るみ始める時間に出発。
 
バトゥケーブへ着くと空は夜から完全に朝。
みなさん朝も早くから気合い入れて、お清めしたり、刺したり、と威勢が良いです。 
 
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とにかく川辺にはたくさんの人、物、音、人、物、音。
インド系の人らはもちろん行列の準備だったり、仲間の見守りだったりとしていますが、
華人たちもやたらごっつい良いカメラを携えて写真を撮ってました。 
あの気合いの入りようといったらすごいこと。
自分より早くからいたので早朝入りですか、、しかも川の対岸にも、あっちにもこっちにも。
 
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輿を担いでバトゥケーブを目指す人がたくさんいますが、
その輿の名を「カバディ」と呼ぶらしいです。
ヒンドゥー教の軍神で子供の容姿をした「ムルガン」の乗り物が孔雀で、
だから孔雀の羽をたくさん付けたカバディを運んでいるのでしょう。
休み休み進んで行きますが、これまた物によちゃあかなり重そうです。
 
が、みなさん各自趣向を凝らした輿となっております。
バネが付いててやたら、ビヨン、びよんしてたり、
金属性の輿だったり、孔雀の羽が大量にあったりとさまざま。
 
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この行列と人の混雑、太鼓を連打する快音、
気を抜いてこの場に立ってたら圧倒されるかもしれないです。
 
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趣向を凝らすのは輿のカバディーだけではありません。
 
みなさんいったいいつからこのコスチュームやらを考えてるんでしょか。
トランスに入る人たちだって、各自様々な格好です。
  
 この人は背中にオレンジと葉っぱ派      オレンジだけ派
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   ぶどうと花派              背中にフック派(要気合い)
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なぜこのひとらは背中に果物を付けてるんだ??
神様に捧げるためなのだろうけど、なぜ果物??
みかんに、ぶどうに、ライムに、葉っぱに、、、、
  
とか、思ってると今度は りんご 。
 
体中に、しかも両面りんごだらけ!
その時ふと頭をよぎったのは、りんごマン!! だこの人は。
なぜならこの人はりんごを両面に付けているだけではないのです。
横にいる奥さんか、手伝いの人が
りんごをムシャリ食い続けるこの人にパスしてました。
だから手にもりんご、口の中にもりんご。
食べたらまた、りんご。
こらもう、この人はりんごずくし。
 
しかし、
かなりの勢いでムシャリ食ってたので、到着のするころはりんごでお腹いっぱいでしょう。
  
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でも、身体に付けるのは果物や葉っぱ、フックだけではありません。
 
まだまだ。
この服装にも注目したいとこですね。
 
ある人は杖やら武器やらムチ、鈴。神様の持ち物のようです。
  
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この長い黒髪のカツラは、っぽさが増します。
ぎえ〜〜〜〜っってやりながら
赤く染まった舌をだして、眼をぎろぎろ、背中のホックを、ぶらぶら。
 
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とにかくこの格好に、こだわってんだな〜。と感じさせられました。
 
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と、ふらふらしてると
前から気になってた針の階段と椅子でパフォーマンスが始まってました。
 
お祈りを捧げた後、最初に例の甘い匂いのする煙草を飲むように吸い、
両側から二人の男たちが刃を支える上に乗ったり、歩いたり。
 
そして、一歩ずつ確実にライムが歩くとこに刺さった針の階段を上っていきました。
痛そ。
椅子へ着くと、痛みを感じないのか、その勇姿を鼓舞するかのように
幾度となく立ったり、座ったりと、どすんどすん。
 
した後、
そこで見学した人たちが何やら赤いひもをその人に結んでもらっていたので、
流れに任せて自分も結んでもらいました。
何やらの御利益があるでしょうか。
 
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このバトゥーケーブの階段は272段あって
炎天下の中行列を組んでここまでたどり着いた人たちはキツそうです。
さらに大量の人。
階段を上って上の寺院を目指す人たちはゆっくり進まざるを得ません。
そりゃ、横に救護班がいますね。
 
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ミルクをここまで運んで来たのは、自らが飲むためじゃなくて
それを神様に捧げるためです。
だから運んできたミルクは神官に渡して、神様の像にかけてもらってる様でした。
 
まぁ、ほんとにごった返してます。
出稼ぎで来てるインドやバングラ、スリランカの人たちも見学に来てるのでしょうか。 
もちろん外国人旅行者もたくさん。
 
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と、行列の勢いは正午を過ぎると弱まってきたように感じました。
そりゃ熱いし、暑いし、日差しも強いですから。 
 
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何やらの赤い紐をもらったので、これでタイプーサム2010は終わり。 
 
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せっかくのインドを味わうために
スティーブンズ・コーナーのピザナン、砂肝、タンドリーチキンにライチジュース。
 
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ヒンドゥー教は謎多き宗教だと改めて感じさせられました。
 
 


タイプーサム 2010・その1


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2010年もこの時期がやってきました。
 
奇祭 タイプーサム(Thaipusam)
 
本国インドでは危険すぎて禁止になったこのお祭りが
ここマレーシアではまだ見れます。
1月〜2月の間のヒンドゥー教でタイの日にやるんだとか。
 
知り合いのインド系の人に
タイプーサム行きますか。と聞きますと、行かない。
行かない。
私の周りの人たちも行かない。
えっ。
じゃあ、誰が行くの?
  
しかし現場へ行くと、そんな気を忘れるほどたくさんの人がいました。
が、分からないことを聞ける人がいなかったのでいろいろ謎のままです。
 
バトゥケーブへ。 
 
KLからバスにて40〜50分。
タイプーサムの時は臨時バスがKLからもバトゥケーブからもたくさん出ているので、
セントラルマーケットらへんをふらふらしてるとすぐにバトゥケーブ行きのバスに乗れます。

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バトゥケーブに着くとさっそく高い音のする太鼓を連打してたり
行列を作ってバトゥケーブへ向けて歩いてました。
この音楽を聴くと
あぁ、タイプーサムの時期が来たな。
と思いますね。
 
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やたらドレッドの、あれはサドゥーだと思います。
を乗せた輿が大事そうにたくさんの人に囲まれてゆっくり進んでました。
 
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ここバトゥケーブに最近駅がで新しく出来て風景がマイナーチェンジしましたが、
お清めしたり、トランスに入ったりする場所はほとんど変わりなくあります。
行ってみるとやはりグッツがたくさん置いてあって準備してました。
トランスに入った後に背中につけるヤツもたくさん。
 
行列を組んでバトゥケーブまで牛乳を運ぶのですが、牛乳パックから直。
えっ?
あの、これじゃあ、神聖さに欠けるのでは。。
 
昔は牛の乳を搾って、そっからの牛乳を運んでいたらしいのですが、
今の時代は人数も多くなったりで、そうはいかず。
この牛乳パック式になりました。とさ。
 
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と、見学してると
少し横で他のグループの一人がトランスを始めました。
聞くところによりますと猿の顔をしたハヌマーンが入ってくるんだとか。
「キエッ〜〜〜〜ッ!!」
と舌をべろべろしながら出立の準備をして、出発。
杖をつきながら、軽く鈴の音がしてました。
 
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このトランスに入るためには7日間のベジタリアン生活だったり、
いろいろと決めごとがあって皆がみな出来る訳ではないのです。
家族の願いや、さまざまな願い、祈りの為に身を清め神を降ろすのだそうです。
痛みや頭を坊主にしたりするのも、それを神様に捧げるためです。
 
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この未知極まりない状況。
空が次第に暗くなり、また、毎日だけれど、雨が長い線となって激しい音とともに落ちてきた。
湿気も十分に満ちて蒸す。 
男が天を仰ぎ神に祈りを捧げて、あれは降りてきてくれる様祈っているのだろうか。
ライムを四等分に切った後頭のてっぺんに乗せて、一欠け、また一欠け、
そして、半分となったライムを気合いを入れて
「てえーーーーーーーいっ!!」と砕くように果肉を飛び散らせ割ったら
おおおっ!!!
神が、おそらくハヌマーンが降りてきた。ぎえーーーーーっ。
始まった。
火をつけたココナッツの断片を口に入れて、ゆっくりと一旦閉じ、吐き出す。
その吐き出しかたも人それぞれだが。。
眼がぎろぎろと見開いていて大きくなっている。
すかさず横から用意していた、何やらの茶色い甘い匂いのするタバコを差し出し、
トランス状態に入った男は勢い良く、ぶかぶかとタバコで呼吸するように吸い始めた。
 
一人目の男、トランス状態に入りました。
 
その後、雨も一向に止む気配を見せず降り続いている。
仕方なく移動も出来ないためこの場に身を置き、
一人、また一人、また一人とトランスに入っていく姿を見続けた。
まさに日本人である自分には未知の信仰心を見せつけられているよう。
連打音と肌に滑り付く熱さと湿り、この雰囲気が息を呑ませる。
 
その時トランスに入った男たちの数は総勢10人だったと思う。
ここまで長かった。
約2時間はかかった。
ということは、最初にトランスに入った男は、トランスに入った状態で
仲間が全員トランスに入って準備ができるまでの2時間ずっと待ち続けたということ。
あらら。雨の中、ぎえーーーーーっってやりながら。
大変だこと。
 
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もう、そこら中にトランスした人がいます。
楽団の、騒音にも等しいほどの轟音の連打する太鼓の音が
辛うじてこの状況を繋いでいるようにも思えます。
もしその音がなければ崩壊してしまうかのような繊細な空気。
 
誰かがトランスに入った男に話しかけるときは、ものすごく丁寧です。
かがんで、足の先を両手でさっと軽く触れるように触った後
尊敬の目をもって胸に手を当てて話していました。
何やら、この日のアドバイスやらをもらうとからしいです。
 
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そして、初めから数えたら3時間くらいだったでしょうか。
とうとうスタートです。
行列を組んで祈りを纏った人々がバトゥケーブへと向かいました。 
 
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そして、さっきの輿に乗ってたサドゥーらしき人が開会の宣言をして、
どうやら本格的にこの年のタイプーサムが始まったようです! 
 
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この日は暗くなったので翌日もう一回。

その2へ。。 


オラン バテッ

オラン スマブリに続き オラン バテッ(Orang Bateq) に会いにタマンネガラへ
 
タマンネガラ(Taman Negara)の意味はマレー語で国立公園、
70年程前に国立公園になりました。
1億数千年前の熱帯雨林が残っているといわれていて
動物もたくさんおります。
インドシナトラ、マレーバク、ガウル(牛)、
アジアゾウ(たくさんいるらしい)、カニクイザル、スマトラサイ、
シカ、レオパルド、クマ、ヤマアラシ、などなど
全部で約200種の哺乳動物たちがいるそうです。
 
いやいや、まだまだ。
1000種を越える虫たち、300種を越える鳥たち、100種を越える両生類
などなど。
たくさんの生き物がこの太古の森に暮らしています。
しかし、サルたちとたくさん会える事は受け入れやすいですが
なかなか会えないにしろ、トラがまだいたとは、、ちょっと驚きました。

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ナシレマを食べ、自分で食べる食料と水を買い向かいます。
 
いざ行かん、太古の森へ。 
 
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と、思ったら
やはりありましたね。パーム・オイル・プランテーションです。
パームヤシがたくさんある道を抜けたと思ったら
あらら、今度はパームヤシを植え替えるために荒野になっている場所へ。
と、同時に
森の深くですごく古い大きなりっぱな樹であったであろう木の幹を何本も積んで
地鳴りを鳴らしながら逆方向へ向かうトラックと何台も出会いました。
いったいどこから運んでくるんでしょうか。。。
森を大事にするタマンネガラ国立公園とは真逆の存在である、伐採。
 
聞いた話によると
もちろんタマンネガラの樹は切らないけど、その近くから切っている。とのこと。
いい木はわりと高く売れるらしいです。 
あのトラックの数を見ると、かなりの勢いで切られていることでしょう。。
 
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ここでも、スマブリ族の時と同様にラザックさんに案内してもらうことに。
たくさん知り合いがいるようで、
国立公園の入森証やボートの手配もしてくれて、助かりますね。ほんとに。

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やはり、前回同様。
ラザックさんは
「この日本人が泊まりたいって言ってるよ」と言っているのでしょう。
を言って、自宅へと帰って行きました。
 
が、やはり放り出された気は拭えず、
最初はどうして良いか分かりませんね。
 
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最初、オランバテッの人たちを見た時どう思ったかって??
 
そりゃあ驚きましたよ。
なんせ顔がマレー人はもちろん、オラン スマブリと少し似ているけど違くて
色の濃い肌と縮れた髪質。
メラネシア系とか、オーストラロイドというのでしょうか。。
詳しい人種や移動はよく分かりませんが、
思った事は、彼らの先祖がいったいどこからやってきたのか?? です。
アフリカからユーラシアを経てこっちへ??
それとも海から??
 
そんな事を考えてると、
漁に行くということなので同船させてもらいました。 
毎日行くのか聞くと、
たまにしか漁には行かない。とのこと。
ラッキーでした。
 
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先頭に立つおっちゃんが、舵を握る少年に指示を出し船は川を下っていきます。
 
漁の方法は投網。
こっちの方角、もう少し左。もっと、もっと、、、よしよしよし、はい止まれ。
の指示通り舵を握る少年は従い、都合良く船を自在に動かします。
 
素人の自分にはどこを狙って船を止めて投げてるのか分からないのも少々ありましたが、
あれはおそらく川の流れや、水の温度を見極めていたのだと思います。 
 
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一見、感だけを頼りに投げるている。と思える投網漁ですが、穫れるもんですね。 
おっちゃんたち、やります。
 
自分が投げたら、網とともに船から落ちるでしょう。
 
いやいや、、
しかし、暑いの、日差しがめっぽう強いのなんたって!
普段からちょっとは焼けてるのですが
数時間乗ってたら顔も手も足も真っ赤っか。なんてこった。
まさか、KLより太陽の日差しが強いのか?
それともじっと日の本に座り続けていたからでしょうか。。
 
そりゃ、子供達もライフジャケットを被って日よけしますよね。
 
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自分が泊まったバテッ族の住んでいる場所は 
タマンネガラのエントリー・ポイントからボートで約20分川を上ったところの崖の上。
崖の上にあるので、マレーシア人観光客や外国人を乗せた舟、
学生達が歓声や楽しみの声をあげる舟、オランアスリがどこかへ行く舟、
などなど朝から晩まで舟の往来がよく見えます。
それにしても、ボートが来る時のエンジン音はすぐ分かりますね。
鳥たちの話し声と森の静寂の中に遠くからでもエンジン音が響き渡るので。
 
観光客は、
『あれが話に聞くオランアスリの住んでいる場所か。』と思うのでしょう。
崖の上から毎日幾度となく往来を見ているバテッ族の人たちに、大きく手を振ってました。
おーーーーい。といった風に。
でも、やはり日常風景だからでしょう。
いちいち毎回手は振り返さないみたいです。
 
しかし、たまに自分以外川を見ていない時もありました。 
それでも手を振る観光客たち。
おーーーーい。
 
それが日本人だとも知らずに。。。 
 
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ナイトマーケットに行くらしいので連れてってもらいました。
 
ボートにて川を下ること30・40分くらいだったでしょうか、
途中ガソリンを買ったりしながら、少し日も傾きながら。 
 
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帰る頃には赤くなった太陽はタマンネガラのどこか奥のほうに落ちていました。
もう辺りは薄暗く、ボートのスピードもやや速く感じ、
子供たちはナイトマーケットで買ってもらったお菓子をかじってます。
なら、自分も買ったパンケーキをパクリ。
昼の暑さはどこへやら。
夜が深くなるほど涼しさも増していきました。 
 
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実はここから見える対岸の森からがタマンネガラ国立公園で
このバテッ族が住んでいるところはただの森です。
 
あのボートが通っているちょっと向こうの岸に
森の入り口の様なものがあるのを確認できますでしょうか。
そこから、森を抜け、山を越え、他の州までずっと続いているそうな。
もちろん自分に森を抜けろと言っても不可能でしょう。。
話してた彼曰く、
森のことならまかせろ。おれは森を抜けてどこへでも行ける。
とな。
すごいです、ほんと。
 
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ちょっと森へ散歩に行かないか。
 
暇そうに森の声を聞きながら川を眺めている自分を誘ってくれました。
そりゃ、もちろん行きます。
スマブリ族の時と同様に吹き矢を携え出発。
 
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どこからかの草をくしゅくしゅやってると思ったら
それは吹き矢を吹く時に、息で圧をかけて押し出しやすくする物。にするそうです。

でも、ここの森に獲物はいませんでした。
もっと奥まで行かないとダメらしいです。 
 
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テレビでどこかのジャングルで、木から水を飲んでいる姿を見たことがありますが、
まさか自分も飲むことになるとは。
 
水が出てくるのはラテンで、タマンネガラにはたくさん、
たしか18種類だったけな。があるそうです。
この人は全て見極められて、子供たちはまだ勉強中、
自分はどれが何かなんちゃ〜分かりません。
 
スパンッ、スパンッ、と先を尖らせたら、
あらら、水が出てきました。ほぼ無味無臭。
予想外にたくさん出てきて、びっくりです、普通に飲めます。
こりゃ、水筒持ち歩かなくても大丈夫ですね。
見極められれば。。
 
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火起こしに挑戦。
 
国や地域、民族や時代によって火の起こし方は様々でしょう。
彼らの伝統の火起こしでは、火起こし用の木と細いラテンを使います。
もちろん今の時代は彼らもライターやマッチを使ってます。
 
写真にある通り、
木の真ん中をくり抜いて、小さい穴を開けます。
そして、こすりやすくする為に溝を彫ったら木の出来上がり。
 
ラテンは持ちやすくする為に小さい木を端に付けます。 
 
そして、木が動かないように足でおさえて
削るように、強くもなく、弱すぎず、遅すぎず、早すぎず
ぐわーーーーーっと続けてると
徐々に煙が出てきます。
 
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そして、煙が出てきても、なおしぶとく、うまいこと続けると
小さな火種が開けた小さな穴にできます。
 
それを竹を細かく細く削ったものに入れると、
はい。
火のできあがり!
 
すごいです。
 
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バテッ族たちの住むこの場所はタマンネガラの入り口に近いため、観光客が来ます。
マレーシアの学生、外国人観光客などなど。
 
みんなさん、ガイドさんの オランアスリとバテッ族について、の説明を聞いてました。
それによりますと
 
やはり彼らの祖先はアフリカからで、
タマンネガラの中には約7000のバテッ族の家族が暮らしているそうです。
彼らは常に移動を繰り返して暮らしているのですが、
いつ移動するかといいますと
雨で土地がダメになった時、周りに食べ物がなくなった時、集落の誰かが死んだ時、です。
この場所も数ヶ月前に作った新しい場所だそうです。
移動してきた場所から、新しく住む場所に着いたら
絶対に1日で家を造り、住む土地を整備します。
でないと、悪い運が出てくるそうな。
 
などなど説明をしながら
火起こしや、吹き矢のデモンストレーション。
 
マレーシアの学生も、欧米人のグループも吹き矢大会してました。
 
ガイドさんが一言。
『はい、これで負けた人は今日ここで一泊ね。
 あれが泊まる家(自分が泊まってる家)です。』
『えーーーー。むちゃな。』
 
って、すでに日本人が一人ここに泊まってますけど、罰ゲームですか。。。
良いとこですよ。
 
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やはり観光客は、ナチュラルな生活、を感じたいのでしょう。
観光客がここへよく来ることを知ると、
『じゃあ、ここは観光客用の場所なんだ。』
と一人の観光客。
 
そうかも知れません。
観光客が来ると女性や子供は家に入りますが、自分も隠れようと思いましたが、
彼らは快く受け入れ、生活の一片を見せてくれます。
 
しかし、彼らは一時ここに住んでいるだけなのです。
1〜2年ほど観光で数百リンギット(マレーシアの通貨単位)お金をかせいで
また森の奥深くへ戻ります。
そして、他の仲間とバトンタッチ。
バトンタッチする仲間の中には、
子供はもちろん大人もマレー語も英語も話せない人がいます。
まず仕事をするために言葉を教えないとダメだ。と言ってました。
 
森へ戻ったら、また1〜2年は町へ出ないそうです。
出ても、交代でたまに買い出しに町へ行く時だけです、1年に1回くらい。
『あ〜、、今は良いよ。食べ物たくさん食べれるから。森に帰ったらお腹すくんだよね。
 コーラ恋しくなるし。でも森大好きだけどね、最高。』 とな。 
 
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彼らの中に一人だけガイドをしていて、英語が少し話せる人がいました。
いろいろと話せて楽しかったです。
言葉が通じると、分からないことだらけな新文化が少し見通せて全然違います。
 
宗教観について少し。
彼らバテッ族は地を歩く動物は食べず、樹々の上で生活をする動物だけを食べます。
それとは逆にスマブリ族は地を歩く動物も食べます。
現に豚も鳥も食べてました。
なぜ、バテッ族の人々が食べないかといいますと
死者を送る時に、死者が天へすぐに逝けるように
樹のてっぺんにくくりつけます。
地に埋めると動物に食べられたり、荒らされたりするから、だそうです。
その点から、死者を食べたかもしれぬ動物は食べない。ということになりました。
 
しかし、マレーの人からの一言。
樹の上にくくりつけた死体は腐ったりして、臭いを放ちます。
タマンネガラの観光客用のトレッキングコースにもまれにそれがあって、
だからホントは樹の上に死者をくくりつけて送る方法は違法になってます。
 
いや、ちょっと待て。。
タマンネガラは誰の場所。。。?
太古の昔からずっと住んできたオランアスリたちの土地?
それとも、マレーシア人みんなの土地??
でも、森の中で住んでるのはオランアスリたちで
約70年前に国立公園にして、観光客を連れてきてるマレーシア。
でも、マレーシア人もオランアスリもそれで収入の一部にしているし。
でも、オランアスリが収入の一部にしてるのは交代制だから一部の人たちだけで
他の人たちはみんな森の中で生活しているみたいだし・・・。
 
と、一人 問答。
 
 
 
日が暮れていくにつれ
森から聞こえる鳥たちの馥郁たる話し声はより深みをましていきます。
 
新月の夜。
ここは森。暗いから星がたくさん見えるんですね。
あっ。
一つ、星が、動いてる、いや飛んでるんだ。
その小さな光を追っていると、点滅していることに気がつきました。
よく見ると小さな光は青みがかって、空を飛んでいます。
あれは星が空を飛んでるんじゃなくて、
蛍が星のようになりたいから空を飛んでるんだよ。
と、誰かに言われた気がしました。
 
よく森に目を凝らすと、あっ
あそこにも、あっ
あっちにも蛍がいた。
 
 
家に呼ばれてご飯を食べてると
ストリートファイター・チュンリー の映画が発電機を使って始まりました。
ハッ! テイッ! ヤッ!
森に響き渡る戦いの声。 
その後見始めた WWF。 I am the Winner!!!!!!!

夜は更けていきます。
 
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迎えのボートに乗りエントリーポイントへ戻ってきた時は 
この森を初めて見た時の印象とは全然違ってました。
もう昔の生活をしている人たちはいないと思っていた森。
違いました。
森の奥深くではまだまだ残ってます。慣習が生きてました。
 
ちなみに観光客が行くには、入森証にガイドとお金がかさみます。。
 
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実は、火起こしには幾度となくトライしたのです。
 
しかし、、、一度も火種を作るまでにはいきませんでした。
彼らは簡単そうにやりますが、すごく難しいです。
自分がやったら、火種ができる前にラテンが切れてしまいます。
『あーーーーーっ!! 難しい!!』
『簡単だよ。』
どうやら徳田はバテッ族になれないのはもちろん、森でご飯も食べれないみたいです。
ただ得たものは、弱った身体の筋肉が火起こしに耐えられなかった筋肉痛のみ。
 
帰りのボートが来る時まで何回も挑戦してると、 
『これ持って帰っていいよ。』
なんと!
 
ありがとうとさよならを伝えてたら
火起こしグッツ3点セットをいただきました。
先着2名様までバテッ族特製の伝統的火起こしに挑戦できます。
 
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耳でとらえた バテッ語(Bahasa Bateq)!
スマブリ語の時と同様にカタカナで書くため、実際に使うときは発音に注意です。 
 
森へ行く ー チュッバッ ハッ
家へ帰る ー ウィ バハヤッ
食べる  ー チ
飲む   ー アム
水浴び  ー ナイ
家    ー ハニャ
熱い   ー ブッ
 
音はぜんぜんスマブリ語と違います。
もっと、流れるような、こもるような感じです。 
 


イスラム学校

イスラム教の学校へ。
 
いろいろお世話になっているラザックさんと共に。

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今回行ったイスラム教の学校の一つ目は
小学生のための学校です。
腹ごしらえをした後、、

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どうやら訪れるには子供たちへのお菓子が必要なようで
スーパーにてお菓子を大量購入。
 
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基本的に親が子供にイスラム教を学ばせたいから
このイスラム塾のような学校へ子供を送ります。
時間は普通の学校の放課後、月から金の2時〜5時。
イスラム法、コーランの読み方、
バジャウ文字(昔のマレーシアのイスラム教徒が使っていたアラビア文字)、
お祈り、生き方、、とこんな授業内容になっています。
政府から送られて来た4人の先生が教えています。
 
小学校が終わってから平日毎日で、しかも6年間の学校です。
 
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自分が行った時はちょうどバジャウ文字の授業でした。
 
が、
 
小学校に外人が来るとどうなるか、、、
 
もうそりゃ授業どころじゃないですね。
先生には申し訳ないですが、
ぞろぞろと自分がいる教室にどこからともなく生徒たちが集まって来て
わーー、わーーわーー!
ピースやら笑顔の荒波が押し寄せます。
 
やっぱり、外人珍しいですよね。。。 
 
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ちょうど休憩時間だったのでなおさら。
けど、たまにはこういう笑顔ってのも素敵ですね。
 
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これもまた、なぞのローカル フルーツ。
マレーシアは熱帯だからでしょうか、
やたらいろんな種類のフルーツがあります。
もしかしたら、まだまだ知らないフルーツが出てくるやもしれません。

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そして、次はポンドク(Pondok) 
青年から大人のイスラム教の学校です。
 
青年は親から送られてきたりします。
ポンドクでの勉強が終了してからは地元に帰って
地元の普通の職業に就いて、イスラム教を教えたりするそうです。
 
もっとイスラム教を深めたい大人や、身寄りのない老人もポンドクで学んでいます。
 
イスラム教の勉学だけに集中するため、ポンドクの家は簡素で無駄な物がありません。
食事も自分で作るそうです。
 
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訪れたポンドクはまだ新しくて工事中で、
なにやらブルネイからの寄付で建てられたとか。
行った時は9人の男性と1人の女性、そして先生が一人いました。

写真にはないですが、さりげなく自分もマレーの服を着てます。
 
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お祈りをした後はコーランの読む授業でした。
自分はイスラム教徒じゃないので中に入れないです。
外からの見学のみ。。 
 
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夜はラザックさんの家族と外食。
タイのマレー料理です。
ちなみに南タイにはイスラム教徒のマレー人が住んでいて
だから、この食事はイスラムの人でも食べれるんです。
 
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オラン スマブリ

今回はマレーシアの原住民といわれるオランアスリのお宅へ。
とうとう訪れるとは、、、マレーシア人訪問もここまできましたか。
 
ちなみに オラン(Orang)は人、アスリ(Asli)は元々のとか元来の、の意味です。
  
オランアスリは、よくオランアスリとひとくくりにされがちですが、
オランアスリといってもさまざまで、マレー半島内で18民族います。
ネグリトやセノイ、プロトマレーなど大きく分かれていて
バテッ族、スマブリ族と民族名も言葉もこれまたさまざま。 
その分け方は、
数万年前にマレー半島へ来た人たち、オーストラリアのアボリジニーみたいな。
とか、
数千年前に中国雲南の方から来た人。
その後、 
マレー人やインドネシア人、中国人、アラビア人などと混血が進んだ人たち。
などなど、
文化人類学的でしょうか、いろいろと調べれば深く書く事ができるのでしょうが
ちょっとそこまでは行かないでおきます。。
 
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現代は、マレー人や華人と混血が進んだり、改宗したり、町に住んだり、
森で住む事を止めたりしている人たちもたくさんいます。
しかし、
やはりまだ森に暮らすオランアスリたちもたくさんいて
主におおざっぱですが、マレー半島の真ん中あたりの森、タマンネガラらへんです。
などに昔からの生活をしている人がいます。
今回は、パハン州はジャラントゥトゥの近くの、タマンネガラのまた近く
ハリラヤでお世話になったラザックさんの紹介にて訪れることに。  
 
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いちおう、水やお菓子や食べ物をちょいちょい買いつつ。。
やたら高くて、シンガポール人が買い付けにくる川魚を見たり
オランアスリが森から穫って来たヤマアラシなど
ジャブを打った後、
近くの オラン スマブリ(Orang Semoq Beri) の家族の元へ。
 
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ジェラントゥットゥ・フェリーからちょっと行った所に
政府が土地をスマブリ族にあげて移住させた場所があります。
 
そこへの入り口。 
 
さすがに今回ばかしは、何があるのかとどきどきしました。 
  
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ラザックさんは
「この日本人が泊まりたいって言ってるよ」みたいなことを喋って
以外に早く家へ帰って行きました。
 
あらら、この若干不安な心も露知らず。。
 
もう、とりあえず猿がいたので
猿に向かってにっこり。
そしたら猿もにっこり、、、
 
じゃなくて、 ぐわっ!! って きーーーー!!ってやられました。
びっくり。
 
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今回もクリスマスに行ったボルネオ島、サラワク州のビダユ族のように
しかし、それとも全然違う、もちろんマレー人とも全く違う
でもマレーシアにいる、という空間にいることとなったのです。 
 
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電気、ガス、水道がまったくないこの場所。
村と呼ぶにはちょいと小さく、
集落?ともなんともしっくりこず、
家が5戸なので、場所。としますか。。
 
の場所から少し行くとせせらぎがあって、
そこで身体を洗うそうです。
なんと、、これまた
森の中のせせらぎで身体を洗う時代が
自分のフィールドワークでとうとうやってきましたか。
と小さなバケツでゆっくり流れていく水をすくい
バシャン、バシャン、
最初は少しひんやり感じる水をかけ、身体を流します。
これもまた、良いもんです。
  
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チェスマン、彼の家に泊まらせてもらいました。
と少年と共に細いラテンを数本集めに森へ。
 
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彼は繁った森の中から使えるラテンをすぐ見つけ
左の腰に差したナイフで
サラッ、スパッ っと皮を剥いで、くるくるっと輪投げのようにして集めてました。
いやいや、おみごと。
森の知識を少し垣間見ました。
 
ちなみに少年は裸足。
信じられません。。。
この森で裸足とは、なんぞや。
スタスタと何事もなく歩くので、
さぞ強い足の裏を持っているのでしょう。
 
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何の為にラテンを穫って来たかと思ったら
小さい家のような、小屋のようなものを作る用のロープ代わりの為でした。
子供たちがラテン輪投げしている横で縛るチェスマン。
綺麗に縛れるもんですね、ラテン。。
ぜんぜん切れません。切れそうになる素振りもみせません。
とりたて、縛りたてのラテンは水分が残っていて、
まだやわいです。
しかし、縛ってから数日は経ったラテンを見てみると
すっかり乾燥して、緩むであろうと推測させる気も起こさせないほど
しっかりと木々に巻き付いたままです。
ラテンはやり手ですね。
 
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彼らの収入の一部に、
家の回りに植えてあるゴムの木の収入があります。
毎朝、皮削りしてました。
ゴムの木の皮削り専用のような変わった形のナイフで
皮を削ったらそこから白い液が
スーーーーーーっと
その削ったトコをつったって集めカップの中へ
一滴、一滴、落ちます、溜まります。
カップがいっぱいになるには数日間かかりそうです。。
 
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ガスがないので薪も森から拾ってきます。
枝を拾うのではなく、
幹を斧で細かくして使ってました。 
 
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と、家の中でお茶を飲んでると
彼らの親戚が近くの場所から来ました。 
彼らもスマブリ族です。
 
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その親戚の家は政府から援助されたコンクリートの家です。
しかし、彼らの伝統的な木と竹と葉で作られた家とは似ても似つきません。
彼ら曰く、
あの家は暑いから好きじゃない、木の高床式の家が良い。
とのことです。。
 
そして、ヤギの め〜 という連弾の鳴声のする高床式ヤギ小屋を横目に見、
小さいパームヤシのある道を草をかき分け進み、
着いたところは
パーム・オイル・プランテーション。 
 
子供たちはプランテーション内の川を見るとすぐに
ぞくぞくとダイブして、服を着てようがいまいが関係なく、ダイブ。
どぼんっ。
なんと、無垢で無邪気な子供たちなんだろうか!
森に行けば樹々で遊び、川があれば飛び込んで、
家の回りでは駆け回り、みんなで遊んぶ。
笑って、たまに泣いたりしますが、そんなのどうってこたないですね。
子供は遊ぶのが仕事。
という言葉がピッタリ当てはまってて素敵でした、ホントに。
 
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まぁ、正直、
前にプランテーションへ行った時に除草剤の話を聞いたので
ちょっとそこらへんが不安ですが大丈夫ですね。。たぶん。
なんせ低い草はありますが、パームヤシ以外他に木がないもんで。 
 
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水道がないため水汲みもします。
せせらぎの他に湧き水も近くにあって、そこから食事用の水を汲んでました。 
 
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自分が来たからでしょうか、
豚かイノシシをどこからか穫って来たのか、買って来たのか、
でバーベキューです。
 
ビダユ族は毛をバーナーでささっっと現代的にやってましたが
ここでは
パチパチ、と鼻をもって火に直接当てて焼いて剥ぎます。
内臓や肉は竹串に刺してました。あれはおそらくレバー。 
たとえ肉を直接蒔きに置いて焼いていようとも、それでススが付いていようとも
ここでは全然気にならないもんですね。
と言いますか、あれが自然であり、普通に感じてました。
おいしいですし。 
 
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犬も鳥もおこぼれをもらおうと近くをうろうろ。
 
緩やかに煙は縦に上り、和やかに時間は過ぎていきます。 
 
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そして、ちょっとの狩りへ。
オランアスリの一部の人たちは吹き矢で狩りをしています。
この吹き矢はけっこう長くて2mくらいでしょうか、推定。
吹き矢の黒い筒は、その中にある2本の細い竹を守る為のものです。
だから、たしか3つのパーツで出来ています。
竹もちょっと特殊で、細くて長い竹はなかなか無いそうで
吹き矢を一本作るのも大変だそうです。
 
吹き矢の矢。
彼らは矢先に毒を塗って狩りをします。
その名を「イポー」
マレーシアのとある街の名前にもなっています。
木の上にいる小動物を射った時は、数分で木から落ちるらしいです。 
 
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リスが木の上で遊んでましたが、残念。
収穫ならず、でした。
しかしそりゃ、
ゴムの木やらプランテーションに囲まれたこの場所での狩りは難しいですよね。。
 
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ゴム林を抜け、バナナ林を抜け、
少年がとってきたのは、何やらの実。
間違いなくローカル フルーツ。
マレー語でドゥク(Duku)というそうです。 
 
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家へ戻ると、また何やらのローカル フルーツ。
その名を、マレー語でですがランベイ(Rambei)。
残念ながら日本語はもちろん、英語の名前も分かりません。。
ラテンの一種から穫れる、と言っていとような気がします。。。
しかしこれがまた、
すっぱい!!
みんな砂糖を付けて食べてましたが、すっぱいの何のって!
 
でも、ホントに見た事ないローカル フルーツを食べるってのも良いもんです。 
 
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ここで、せっかくなので 耳でとらえた
サバイバル スマブリ語(Bahasa Semoq Beri)
カタカナ表記なので、もし使う時があったら発音に気をつけてくださいね。
 
ご飯を食べる ー  インチャ ナシ
分からない  ー  ラーイン
犬      ー  ジョー
水      ー  ジャオ
熱い     ー  ブッ
猿      ー  タラウ
森へ行く   ー  スワッ カブリッ
家へ帰る   ー  イヨッ ティアン
頭      ー  コイオン
親戚     ー  オンッ
水浴びをする ー  ジャンマル マハミイ
赤ちゃん   ー  カッコン
後で     ー  ディドゥイ
ぶた     ー  ジャル
パン     ー  チャルティ
板      ー  デッロッ
パイプ    ー  オンチョイ
 
それと、おっちゃんが子供によく言ってた
アーモーッ オイ!! って言うのが気になりました。
 
言葉の音はマレー語とも違います。
力強く飛ぶような、跳ねるようなかんじです。
 
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どこからともなくバイク音が。。
 
すると、彼らが声高らかに叫びました
 
「アワワワワワワワワワワ」  「オウォウォウォウォウォウォ」
 
昔、彼らの住んでいた森が走馬灯のように目の裏を走ります。
 
何事!? 突然。
 
バイクに乗ったおっちゃんが登場しました。おかし売りの人です。
やはり町が近いからたまに来るみたいです。 
 
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猿が突然騒ぎ出しました。
 
何事!? 今度は?? なに?
 
どうやら、、何もなかったようで、誤報です。
スマブリの男たちは猿にとつとつと教えています。
言葉は分かりませんが
しっかりしろ、誤報は違うだろうよ。と言っていた風でした。
聞くところによりますと、あの猿はスマブリ語が分かるそうです。
 
と、
毛づくろいもやってもらってました。
 
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いったい何時に寝ていたんでしょうか。
太陽が落ちて暗くなったら大人たちはランプを点け、
子供たちは明日の仕事の為に昼の疲れを癒すべく床に付きます。
自分もKLでは少々夜は起きれるのですが、
ここは違いますね。
自然のリズムの中に入っています。
朝、いつぞやから明るくなった空で目を覚まし、子供たちが早々遊んでいる姿を見て、
昼、飯を食べ、暑ければ休み
夜、暗くなったら甘いお茶を飲んで、慎重に蚊帳で虫を完全遮断して安眠を心がけ、
悪夢はマレー獏に食べてもらうようお願いして目をつぶります。。
静かです。
都市の雑音のないこの空間だから、いくら床が堅くとも寝てしまいます。
たまにゃあ、そのシンプルな流れの中に身を置くってのも良いもんですね。
 
 


マレーシア 20

このブログの一人だけやたら長いアーカイブも
とうとう2006から2010年の時を刻みました。
いやはや、時間とはなんぞや。
一体全体いつこんなに時間が経ったのでしょうか。。

もうさすがにKLを歩くのに地図は必要ありません。
この頭に入ってるのですが、、
最近のKLでの悩み事が一つ。
カメラを持ってない時は誰一人として
外国人だの日本人だの分かってくれません。
なぜ。。
ちょっとはチャイナタウンとかマーケットとか歩いてて
「お兄さん、お兄さん」 「ちょっと待って」
とか言われてもイイんですけどね。
現に日本人と共に歩く時は言われてます。
自分を越した後の人へ向かって。
そんなにマレーシア人に見えるんでしょうか・・・。
  
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2009年の11月にマレーシア・アート・エキスポ 09というものがありました。
たまにこういうのがあります。アートフェスタとか。
内容は、日本やらアジア各国、欧州数国のギャラリーの作家の作品が展示してありました。
マレーシアからも、KL・ペナン・マラッカなどなどから。
ミャンマーの作家の作品とかなかなか見る機会はないであろう作品もあって、新鮮でした。
95%は絵画、他に映像とか彫刻、写真が数点。
その場で、そこに掛けられている作品を即売してて
わりと売れてるみたいでした。
 
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ブリティッシュカウンシルの前のクラス。
このクラスにいた時に、ひょんなことからスピーキングクラブというものに入りまして
週一で自分の国をプレゼンしよう。というやつでした。
ベルギーとかイエメンとか名前は知っているけれど、どんな国かよく知らない。 
そんな人らも一緒にやって、いやいや、楽しかったですね。
良いクラスでした。 
 
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たまに行くウォンさんやアンディさんとの食事は
いつもの自分で作る鍋スパイラルから抜ける唯一の道で
しかも自分の料理とは違い、間違いなくおいしいです。
こないだ連れてってもらったKLからちょっとに離れたとこはほんとに美味しかったですね。
それと、KISSATENに新メニューが登場してました。
前は裏メニューであった鍋とか、うな重とか、ポークステーキとか、とか。
料理長曰く、いつも新メニューを考えてる。とのこと。
これは、まだまだ新メニューが登場しそうです。期待してます。
新しいメニューのほとんどは危うくお腹がはち切れるかと思いましたが
とても美味しくほおばらせていただきました。
ありがとうございました!
 
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最初はクリスマスが終わっても
一向に片付ける気配を見せない飾りにちょっとばかし不思議でしたが
We wish you a Merry Christmas and a Happy New Year
でも歌ってる ように、日本とは違うんですね。
 
2009年12月31日はKLやマレーシアの至る所でカウントダウンしたました。
紅白歌合戦もありましたが、せっかくなのでKLへ。
KLCCやブキッビンタン、メルデカスクエアでもイベントをやってまして、
いったいKLのどこに、こんなにたくさんの人がいたの??
というくらいの見た事ない混雑。
マレーシア人やら、旅行者やら、留学生やら。
人、人、人。 
と共に、大音響の音楽。
そりゃKLCCの公園もライトアップしちゃいますね。
 
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カウントダウンの数十分前から絶叫やら興奮の嵐。
ひょーーーーーー。ふぉーーーーーー。という裏声とともに
シューーーーーー。っとあらいったい何でしょう。スプレーをかけ合ってました。 
そこら中にスプレーの空き缶が散乱し、
スプレー売りの人も両手に少なくとも4本のスプレーを持って
「スプレーはいらんかね。」と狂気の中を彷徨い売り歩いてました。
そのスプレーは、というと。
糸みたいな、泡のような、すぐ消えるんですけど、そんなかんじのスプレー。
雑踏の中進む見ず知らずの人らとスプレーをかけ合う、祝い事の掛け合いしてました。
自分も、ふらっとその中へ入るやいなや
ひょーーーーーー、ふぉーーーーーー。と共に
シュッーーーーーーっ! もうそりゃ泡と糸だらけです。
 
5・4・3・2・1 !! 2010!!!
歓声。 スプレー。 花火。
みんな HAPPY NEW YEAR!!! って。
歓声。 スプレー。 花火。
 
そりゃもう、ここぞとばかりに満月の夜空へ向かって
あっちでも、こっちでも
シューーーーーーーッ!
  
と、盛り上がってました。
ちなみにこのスプレーから出るガスでしょうか、むせます。
 
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ここはパビリオンの前。
さながら野外クラブのようです。
みんなくねくね、ゆらゆらと踊ったり、
沸き上がる感情をそのままダンスにぶつけたような踊りで盛り上がってました。
そんなかんじの満月カウントダウン09−10。
 
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そして、これはパサール セニ駅のグラフィティ。
去年もここに違うのがあったのですが、どうやらと年が変わると描き変えるみたいで
1月1日に、ざっ!っとたくさんの人で描いてました。
でも、個人的には去年のが好きです。
 
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この写真に写ってる人が誰だか分かったらマレーシア通ですかね。 
 
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マレーシアの首相といえば、マハティール首相がすごい有名ですが
この方は現マレーシアの首相のナジブ首相です。
KLCCの横をふらっと歩いてたらいました。
おっ!ってやつです。
やはり地味にうれしいですね。
こないだマレーシア人の知り合いに自慢しときました。
 
 
そんなかんじに最近のマレーシア生活をしております。
いつものように心身共に元気です。
 
2010年もよろしくお願いします。
 
PJ 徳田
 


クリスマス

新年・クリスマス休みはどこへ行こうやら。
せっかくだからキリスト教徒のところへ行って
南国のクリスマスが見たい。と探していましたところ
ひょんなことから、
ボルネオ島はサラワク州、クチンという町の近くの、
首狩り族だった事で知られるビダユ族のロングハウス、パヤンさん宅へ行く事に。
KLに住んでいて、キリスト教徒というと華人かインド系の人なので
マレー半島かと思っていたら、まさかのボルネオ。
 
なぜボルネオのサラワク州にキリスト教徒がいるのでしょうか。

昔、サラワク州はブルネイの統治下にありました。
1800年代にイギリス人探検家、
その名を「ジェームズ・ブルック」がサラワクにやってきました。
ブルネイからサラワクの反乱を治めるよう頼まれ、
鎮圧した後、彼はブルネイからサラワクの王に任命されました。
「白人王(ホワイト・ラジャ)」という称号です。
ちょっと疑問に思った事があって、
サラワクにはたくさんの民族がいますが、元々の彼らの宗教はパガンといって自然崇拝です。
今、ホワイトラジャの影響で多くの人がキリスト教に改宗しました。
しかし、以前はイスラム教の国家のブルネイに統治されていたので、
その影響でサラワク州の人たちがイスラム教に改宗してもおかしくなかったのですが、
多くの人は改宗しませんでした。なぜでしょ。
聞いたのですが、答えは分かりませんでした。。

 
そしてエア・アジアにて KL→クチン へ。 
 
Kg. Annah Rais01.JPGKg. Annah Rais02.JPG

クチンから車で約1時間半。
村の名前は、カンポン・アナライース(Kampung Annah Rais)。
 
この村は ビダユ族 が住んでいて、数十メートルのロングハウスが3つ残っています。
 
サラワク州の人口比率は、
1ー華人 ・ 2ーマレー人 ・ 3ーイバン族 ・ 4ービダユ族 となっています。
 
宗教も
1ーキリスト教徒 ・ 2−イスラム教徒  となってまして
この州は珍しくマレー人の人口が一番多くないし、
キリスト教徒が多いなんて知ってちょっとびっくり。
ここへ訪れる前は、民族は多様でキリスト教徒だけど
習慣とかがマレー人と似ているだろうと思ってました。
しかし、
そんなコトはまったくなく、彼らは全く別の習慣、歴史のあるビダユ族です。
まるで他の国へ来たかのような新しい文化に触れました。
 
ちょっと前まで、ビダユ族は ランダヤック(Land Dayak)ー 陸の民。
イバン族は シーダヤック(Sea Dayak)ー海の民。
と呼ばれていました。
どちらも、首狩り族でした。今その習慣は残ってませんが。
ホワイトラジャの前の時代まで、村々には戦士がいて戦い合っていたそうです。
 
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                      米のお酒(すごく甘い)
Kg. Annah Rais05.JPGKg. Annah Rais06.JPG

昔は砂糖を手に入れるのがとても難しかったそうです。
なので、写真左の物を使って自分たちで砂糖を作っていたそうです。
 
カボチャが地面じゃなくて宙に浮いてます。
地面に作ると動物が食べてしまうから、らしいです。
 
Kg. Annah Rais07.JPGKg. Annah Rais08.JPG

この村に残っているロングハウスは全て木と竹で作られた高床式です。
通常、外の床の竹は雨風にあたるため1年で全部新しくして、
雨があたらないところは2年に一回取り替えるそうです。
なんとも、大変ですね。
ちなみに、ビダユ族の家の造り、イバン族の家の造り、
他の民族の家の造り方はそれぞれ違います。 
 
ロングハウスは民族の伝統的な家ですが、
そりゃもうこの時代です。
ロングハウスは修理も大変、強度も弱い。
そのため今では人々はロングハウス暮らしから、
セメントで作った個々の家へと移り住んでいます。
ホントに昔から続くロングハウスに行くには川を上り、森を抜け、
深く深くまで行かないと無いらしいです。
 
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彼らは元々 戦士 でした。
ボルネオのダヤック族(ビダユとイバン)の戦士たちは
土地や交易の理由から1800年頃に首狩りの風習が始まったとされています。
山で出会った時や、結婚したとき、
運を必要とする時にも、戦士たちは戦いに出掛けたそうです。
その理由から、敵の侵入を防ぐ為に村々はもともと丘や山の上にありました。
白人王・ホワイトラジャがサラワクの王に就いてから
風習は薄れて行き人々は平地へと移動し村をつくりました。
このアナ・ライース村は1980年の戦士が最後でした。
 
この村には昔、戦士たちが村を守る為に建てた建物
パンガ・バル(Panggah Baruk) が2つあります。
戦士たちは他の住居よりも少し高く建てられたこの建物から
夜番しながら村を守ったり、音楽を奏でたり踊ったりと儀式などを行っていたそうな。
一つは近年建て替えられて、観光客たちが訪れやすくなってます。
昔は頭蓋骨が200個以上あったそうなのですが
割れたり、保存が大変で今では数十個だけです。
 
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親族たちがクリスマス休みで会社が休みなので
この時期に結婚式が行われる事が多いみたいです。
今回も2つの結婚式がありました。 
 
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                         パイナップルが屋根に。
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1959・60年にクチンから村まで道路ができてからすこぶる便利な世の中で
昔は村からクチンまで川を3〜4日かけて下っていたのに、今じゃ1時間ちょい。
戻るときなんざ約7日。
合計で往復約10日以上ですか。。遠かったですね。
 
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    昔の家の造り              昔のタバコ
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クリスマスの時期にアルバイト先で毎日毎日聞いていた音楽が聞こえてくると思いきや
動物の絶叫。
豚です。
まさか豚があそこまで絶叫するもんだとは思ってませんでした。。
クリスマスなので豚だったり鳥だったりたくさん食べるそうです。
 
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クリスマスイブのミサ。
 
ミサはビダユ語で。
 
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クリスマスの朝のミサ。 
みんなちょっとおしゃれして、きっちりとした格好で来てましたが
そんなこと予想もしてなかったので普段通りの服でそこにいてしまいました。
泊まってた家の家族は昔のパガン信仰よりもぜんぜんキリスト教徒でした。
若者が言うには
95%がキリスト教で5%くらいがパガンだそうな。
でもパガンは彼らの伝統文化って言ってました。
 
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トカゲのきっついお酒です。
なかなかこの種のトカゲはいないらしく、
見つけたら水に数日入れて不純物を出せるそうです。
それで、お酒に漬けて出来上がり。
 
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ご飯はマレーシア半島の米よりもおいしいです。
どうだ、西マレーシアよりおいしいでしょ、米が違う。って。
この葉っぱに包んだ調理方法は伝統的炊き方の一つ。 
 
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夜にパヤンさんの友達の家へ。
マレーシアにいるとだいたいお酒はあんまり、、な場所がたくさんです。 
が、ここは全くそんなコトはなく
ちょっと飲んだら、また注がれ、またちょっと飲んだら、また注がれ。
と熱帯気候でのクリスマスの飾りも新鮮ですが
この晩酌もまたマレーシアでは新鮮でした。 

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朝から結婚式の準備です。
昨日いた鳥たちはすでに肉塊へと姿をかえ、ぐつぐつと煮られてました。
豚の角煮くらい大きい塊で食べる事も全然ないので
ちょっとうれしかったです。 
 
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スイス人のパオロさんの研究をパヤンさんが手伝ったらしく
本を持ってまして、そこからちょっと拝借。サラワク州の各民族のいる大まかな場所です。
マレー人と華人たちはやはりほとんどが海岸で、イバン族がいろんな場所にいるみたいですね。
民族はここに書かれている人たちだけじゃなく、他にもいくつかあります。 
 
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そして結婚式。
伝統的なスタイルでやる人もいれば、現代的なスタイルでやる人もいるそうで
今回の2つともドレスとか着てましたんで、現代派でした。
ご飯も村人にふるまってまして、
日本人が一人一緒に並んでて、
おーらおらとおっちゃんたちがご飯をてんこ盛りにして、すぐにお皿はいっぱいに。 
 
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生演奏をやってたり、いろんなライトで照らしてたり
あら、ここはどこでした?
ボルネオのロングハウスがあるトコじゃなかったけ?
と思ってしまうような感じでした。
みんなマレーシアの音楽に合わせて踊ってまして
その踊りがなんとも素敵な踊りで。
まさしく今の気持ちを身体でゆらゆらと表現する、そんなかんじで
やたら楽しそうでした、素敵です。 
 
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ロングハウスはこんな感じになってます。
みんな座ってお茶したり、おしゃべりしたり。
パヤンさんと村を歩いてると、やたらみんな距離が近くて
ほらほら座って、座って。 と一杯。
なんせみんな親戚みたいなものなんでそりゃそうですね。
 
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パヤンさんの畑へ。 
 
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畑には米があって
一つは日本と同じ水田で、もう一つは山の斜面に。
湿った米と乾燥した米があるって言ってたので、おそらくその違いでしょか。
一見するとあんまりたくさんの種類がなさそうですが
かぼちゃ、とうもろこし、バナナ、米、キュウリ、さとうきび
パイナップル、レモングラス、とうがらし、タピオカ、しょうが。
とたくさんです。
ちなみに、さとうきびはすごい甘くておいしかったです。 
 
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扇のようなやたらでっかい葉のある木にあったのは南国果物。
ビダユ語でプルタン(Prutan)、マレー語でエンプラッ(Emplap)
英語・日本語では分かりません。
KLや他の場所でもこの実自体は見た事がなく
彼ら曰く、ボルネオ特有の果物って言ってました。
いったいこの果物はなんなんでしょか。南国のフルーツの一つ?
味はものすごく濃厚で、イチジクを数倍大きくして味を南国風に濃くしたかんじです。
この大きさを2人だけで食べるのはキツいです。7人分はいけると思います。
なんせ味がごっつりしてますんで。
 
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食虫植物もそこらへんにあります。 
  
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伝統的な、竹にご飯を入れて炊いたお米を食べさせてもらったり
収穫祭のランダヤックでやる鷹の舞の音楽を教えてもらったりしました。
竹で作った楽器です。
 
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と、そんなクリスマスでした。 
いつも、いつも快く楽しく泊まらせてもらってうれしいかぎりです。
ありがとうございます。。
 
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そして、ちょっとのクチン。
 
クチンはマレー語で 猫 の意味で
一年に一回猫祭りなるものがあるそうです。 
 
マレーシアの半島の町はだいたい
マレー、中華、インドの町ですが、ここはもう一つ
ボルネオの民族の雰囲気が加わっていて、ちょっと違いました。 
 
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そしてまたエア・アジアでKL→PJへ。 
 
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今回はすごく、すごく新鮮な旅になりました。
マレーシア半島とボルネオではあんなにも違うなんつぁ思ってもなかったです。
やはり現地に行かないと分からないことはたくさんですね。
んじゃ、サバ州もまた違うんだろう。どうなってるんでしょうか。。
 
サラワクには今度また行きます。  あー、楽しみ。
 


ペナン

先日、懐かしの島 ペナン島へ行ってきました。
 
そう、あれはもう早いもので4年前の2006年。
FWでタイから鉄道にガタゴトと揺られて着いた東洋の真珠と呼ばれているらしい島。
あのときは4泊くらいしたんでしたっけ、毎日若者らしくアクティブに動いてました。
ペナン島の道を全然知らないのに向かったバトゥフェリンギ、浜です。
2時間で頂上と聞いて登ったら4時間近くかかって、
頂上に着いたらケーブルカーで数十分で登って来た仲間とばったりペナンヒル。
フェリーで半分無理矢理行って、絶叫ブリッジやら滝滑りをしたランカウイ島。
KLに行く時にみんな飛行機のチケットとってたの地味に知らなくて、
一人でKLに向かって施設に一番乗りした。とかとか。
と、あのころは体力ありましたね〜。いやいや、若かった。
しかし、
その話がもう4年前なんて時間は音速じゃなくて光速に近いんじゃなかろうか、と思うこのごろです。

昨年のいつかに、いつも使っているプドゥラヤ・バスステーションに
新しくきれいな待合室ができました。 
そこから約6時間。→ バタワースへ。

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到着したらすでに夜が来ていました。
24時間バタワースとペナン島を繋いでいる便利で安いフェリーにてペナン島へ。
一回来ているとはいっても、あの時は街歩きをしなかったもので
土地勘は全くなく、初めて来た場所のように道は分かりませんでした。
でも、少し歩くとあら不思議。
このペナンのジョージタウンの雰囲気が他の町と比べて少し違うのを感じました。
貿易の歴史があり、昔の建物が残っているなど世界遺産に登録されるだけの場所だからでしょうか、
人口のほとんどが華人だからでしょうか、
何でかよく分かりませんが、ペナンっぽいです。 
 
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またサイクリングで何となく行こうとしましたが、
そんな無茶はもうできなくなったのでしょうか、時間節約のためバスにて
極楽寺(Kek Lol Si Temple)へ。
ここは1890年風水にて建立の場所が決められてから増築、増築、
今もまだ造り続けているマレーシア最大の寺院。
渋滞ですごく時間がかかりましたが到着。
 
ペナンはラクサという麺が有名です。魚を使った独特の香り味わいのピリ辛麺。 
 
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土産物のトンネル、そうあれです
我が地元の江の島の通りに2mmくらい似ているな、と感じながらくぐり抜け
向かった先は極楽寺。
現代風な仏像がたくさんありました。
お参りに来るのは華人だけではありません。
インド系の人たちもこのお寺へお参りしに来ます。
 
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お寺の奥に仏塔があるのですが、お寺の全貌とペナンの町並みがちょっと見れます。
何段式なのか分かりませんが、6・7段はあろうかと。
各段に金やら白やらの仏像がたくさんあります。 
 
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右上の写真によりますと、ここは開山118年ですか。
今もほんとにたくさんの人がお参りだったり、観光に来たりしています。
右下のは数十メートルはあるつい最近出来た新しい仏像です。
 
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数年ぶりに同じ場所に来るのは楽しいですね。
主立った想い出は思い出しやすいのですが、
その時のかすかな記憶さえもそこに見えるかのように扉を開き鮮明に蘇ります。
あ、このレストラン行った。とか、この道歩いた。
そういえばここはあれだ、などなど。
懐かしいの一言につきます。
もしかしたら、FW1の人はこの街並や海に見覚えがあるかもしれないですね〜。

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125cc のバイクのレースを快音をたてながらやってました。
ペナンではこういったイベント多いんでしょうか、
KLもそりゃイベントありますが、レースのイベントなんざ見た事ないですね。 
 
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やたら目立つこの建物は、
いろいろな種類のお店やら会社やらが入った60階建ての コムタ です。
昔はここで日本のお菓子を買って、日本のお菓子ミニパーティーしました。
うわっ!日本のお菓子だ!!
今はあの初々しさが新鮮で、ちょっとこなれてしまったかもです。
 
歩いたところはジョージタウンといってフェリーの発着場所からすぐの街です。
多くの建物が新しいマレーシアの建物群になっていますが
いくつかはまだ昔の香りをほのかに感じさせてくれます。
 
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と、そんな懐かしんでたらもう帰る時間です。
今回のペナン島旅行は、お寺に行きに行ったみたいになってしまいました。
それもそのはず、ペナン島は見所がいくつかあって
全部回るのにはちょっと時間を要します。今回は我慢です。
また機会があったら行ってきます。 
 
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ハリラヤ ハジ

2009年のハリラヤ ハジ(Hari Raya Haji)は11月27・28日でした。
またの名をハリラヤ アイディル アドハ(Hari Raya Aidiladha) 。
 
メッカ巡礼のお祝いです。
コルバン(Korban - 犠牲) とも言います。
 
なのでクアラトレンガヌ州のカンポン・パシール・ラジャ(Kampung Pasir Raja)の
アドナンさん宅へ行ってきました。
カンポンはマレー語の村。
パシール・ラジャは、パシールが砂でラジャが大様を意味しています。
昔々、クアラトレンガヌ州の大様が毎年この村の川沿いの砂地へ
キャンプをしに来ていたそうです。
それ以前は決まった名前はなかったそうなのですが、
村・砂地・大様 でカンポン・パシール・ラジャという名前になりました。
 
イスラム教徒にはいくつかの義務があって、その内の一つがメッカ巡礼です。
メッカ巡礼を終えたマレーシアのイスラム教徒たちがこの時期に一斉に戻ってくるため
空港は迎える家族や友人がたくさんいるそうな。
ハジ(haji)とはある決まった時期、作法にのっとってメッカ巡礼を終えた男を意味していて
名前に「ハジ」と付ける事ができます。女性はハジャ(haja)
だから、もしマレーシア人の名前に haji と付いていたらその人は巡礼を終えた人です。
メッカ巡礼は昔のマレーシアのイスラム教徒にとってすごく、すごく大変なことでした。。
なんせ遠いので、長期間の船旅に耐えうる体力とたくさのお金が必要だったとのこと。
しかし今は、マレーシア政府が巡礼を奨励・援助していて
タブン・ハジ(tabun haji) という金融貯蓄機関があります。
メッカの街も巡礼者の数を制限していて、みんながみんな積み立てをすれば行ける。
ということではないそうです。
 
 
KLはプドゥラヤ・バスステーションからトレンガヌ州のドゥングン(Dungun)まで。
当初、受付の人に言われた6時間をとうに越して合計10時間のバス旅。
やはりみんなの休みは一緒で、そりゃ混みますね。。
到着するとアドナンさんは迎えに来てくれていて、ドゥングンからまた1時間半。
こらまたなかなか遠かったです。
 
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昔のこの村は他の町まで道が繋がってませんでした。
村人たちは毎回ボートで川を下り1日から2日かけて
一番近くの町ドゥングンまで行ったそうです。
今はアスファルトの道路が隣の村や町まで繋がってますが、
それでも60kmくらい離れてます。
村の外の学校へ通っている子によると
パシール・ラジャの村にはマレー系の人しか住んでおらず、
その子が13才になって町の学校に通い始めて、
初めて中華系やインド系の友達ができたそうです。
あらあら、そらまた、たくさんの人がいるKLとは大違いです。

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翌朝からモスクへ行き、ハリラヤハジの始まりのお祈りをしていました。
ちなみにここの村のモスクはたまねぎ型のやつのモスクじゃないです。
初めて見ましたが、高床式モスクです。
今回もマレーの男たちがモスクへ行く時に着る「バジュ マラユ」水色を着させてもらいました。
ちょっと着慣れた風が出てるまもしれません。
  
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村や地域、年によって牛の生け贄の数は違います。
今年のこの村は雄牛1頭。
モスクでのお祈りを終えた男たちがバジュマラユを着替え動きやすい服装になり、
マイナイフをポケットに入れて始まりです。
毎年やっているだけあって、数人の男たちが
「おおっい! んっ!」と手際よく順序よく事が進んで
次から次へと肉塊へと形を変えていきました。
 
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いざ肉が各部位ごとに切り分けられると、男たちはそれを細かく切り
女たちは肉をつかった料理の準備です。
小さい村なのでおそらく働き盛りの男たち、女たちの総出の作業です。
薪を使って大釜で作るので熱いの煙いのなんのって。
 
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「ほれっ。見ろ。」 みんなマレー語しか喋らないので感じで、
 と言われ、手のひらに乗ったやや薄い色の小さい肉塊
切ってから数十分経ったはずですが、何やら小刻みに動いています。 
おっちゃんは胸の中心を数回たたいて、こら心臓ですね。 
しばらく時間が経っているはずなに、しかも小さく切られているのにおそるべし心臓です。
 
おばちゃんが持ってるのはしっぽ。
 
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作業が一段落したころ、
この日は金曜日の礼拝の日なので男たちは再びバジュマラユに身を包みモスクへ。
大人は中でお祈り、子供たちは中に入らず外にいました。
しかしバジュマラユを着てるのに中へ入らず、
片言のマレー語を話す日本人が近くにいたので、そりゃ気になりますよね。
マレー語で「しーーーっ! 集中。」って言っても全然集中できてませんでした。
 
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礼拝の後はみんなでご飯。
メニューは
1、白ご飯
2、牛肉のマレー風カレー(カレー味じゃないけど)
4、牛肉煮
3、野菜と魚煮のドリアン風味
 
もうちょっと副菜みたいのがあったかもですが、
そんなかんじのコルバン1日目のおいしい昼食でした。

 
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翌朝の早朝。
アドナンさんは竹に餅米を入れて炊いたラーマン(lemang)を作ってました。
ラマダンの後のハリラヤプアサの時もこのお米を食べましたが
ハリラヤハジの時も食べるみたいです。
お祝いの料理ですね。
 
と、この日は毎年恒例ドゥンガン市のコルバン・ペルダナ(Korban Perdena)
市の一番偉い人が牛30頭〈牛1頭は3000RM(約9万)〉プレゼントしてくれて
いろんな村や地域からたくさんの人が来て、みんなでコルバンする日です。
アドナンさんたちは青い2009年コルバンTシャツに着替え朝6時半くらいに村を出発。
カンポン・ジェランガウ(Kampung Jerangau)まで約1時間。
 
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牛料理の朝食が用意されてて、まずは腹ごしらえ。
食後の9時から一斉スタートです。
全部で30頭なので、そこら中でコルバンしてました。
しかしこれまた、どこのグループも手際がいいです。
コルバンTシャツを着てポケットにマイナイフを入れた男たちはみな職人ですね。
切る前にアッラーの何やらの言葉を唱えて、
次から次へと肉塊に変わっていきます。
 
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グループによってちょっとずつやり方が違います。 
 
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各グループによって持ち運びやすい大きさに切り分けられた肉塊は
トラックに積まれ、若者たちの元へ運ばれてきます。
 
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肉がどんどん運ばれてくるので、机の上は肉だらけの大忙しです。
一人分でだいたい1kgの量に分けられて、
さらにそこからまた村ごとの量へと袋詰めされます。
おっちゃんたちはコルバンで、若い男衆と女たちはこの仕事らしいです。
 
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贈与式のあとパシール・ラジャ分ももらいました。
けっこう重かったです。
肉はちゃんと重さを量ったりするのですが、
頭などの部分は各グループがそれぞれ村へと持ち帰り
村へ戻った後はまた細かく分けられ村人へと配られます。 
 
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ココナッツ。 
 
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おっちゃんがいつも吸ってる手製タバコ。
薄い小さい乾燥した葉っぱでタバコの葉みたいのを巻いて吸ってました。
かなり火が消えやすいですがおっちゃん曰く、うまい。と。
 
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当初は1日だけしかコルバンしないのだろう。と思ってましたが
1日目、2日目、さらに3日目もコルバンをするそうです。
じゃあ朝出発して、アドナンさんの後ろに乗って川沿いまで。
 
「スダ」 「えっ? スダ?」
 
スダ とはもう終わったとかの意味です。
残念ながら3日連続コルバンはならず。
少し流れの速い腰くらいまでの深さの川を、切り分けられた肉塊が次々と渡ってきます。
ここの静かな川辺では内臓を洗って切り分けてました。
よく日本で内臓を焼き肉で食べますが、予想以上に草がまんまんに詰まってるんですね。
あれ。 初めて見ました。
  
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腸です。
中に詰まってる何やらを草の茎を使って押し出してました。
この作業は川辺のほうがいいですね。
掃除の終わった腸は、さらさらっとまとめられます。 
 
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そして、コルバンの後はやはりみんなで牛料理。
 
マレーシアでも過疎化があるらしくて、
若者たちは勉強や仕事をする為に他の町へいかざるを得ません。
この村の若者も一定の年になると他の町の学校へと行きます。
何人かの帰郷した人と話しましたが、そういえば若い兄ちゃんをあまり見てなかったです。
話した人は街のコルバンは、ただ事をやるだけだと言っていて
パシール・ラジャの村人総出のコルバンを誇りに思ってました。
続いてほしいですね。
 
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焼きバナナ。
なにやら食べたとたんに口の水分を持っていかれますが、味は芋みたいでおいしいです。 
 
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と、そんなこんなのコルバンデイズ。
なにせ英語が通じないもので、マレー語も少しずつですがチャレンジして話しています。
サヤ ボレ チャカッ シキ バハサ マラユ。なんて。
今回も最後まで親切にしていただきました、ありがとうございました。 
 
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ではでは、次はどこへ行こうか。 
 


カンボジア 2 ・ マラッカ 3

泊まったホテルに以前、日本の芸能人の人が来たらしく
「ノリカ・トゥクトゥク乗りますか?」と聞かれまして、
それじゃあ、せっかくだからという事で
ノリカ・トゥクトゥクでベンメリアへ。約2時間

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アンコールワットを造る前に造ったのがこのベンメリア。
いわばミニ・アンコールワットというかんじらしいです。
 
前々からベンメリアは綺麗。と聞いていましたが
やっぱりここは綺麗です。
なにがって、たくさん崩れたりしていますが石の色が好きです。
元々の色を想像させてくれます。
これまた、完成当時はホントに綺麗ですごかったんだろうと思います。
 
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道の横ではペットボトルでガソリンを売ってます。 
 
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3年前はプノンペンからシェムリアップまでトンレサップ湖をボートで移動しましたが、 
今回はその湖をボートでぐるっと観光しました。
以前は5月だったけな、くらいだったので
乾期で水位が低すぎてボートが突っかかったりしました。
しかし、今回は雨期だったためかホテイアオイもいたるところに群生していて
心無しか湖の色も違ったように思います。
どうやら平均の水位が、乾期の時は4mで雨期が12mらしいです。
そんなに水位が違うんなら、そりゃ突っかかったりしますね。
 
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水上集落の人たちのほとんどが漁師です。
一部の地域にはベトナムからの移り住んで来た人たちが住んでいます。
家によっては、地面に杭を打って高床式にしている家もあれば
大きい船の上に家を作る、水上移動式家と言いましょうか。もあります。
豚や犬を飼っていたり、養殖をしていたり、学校があったり、
発電機で電気を作ったりと水上でもいろんな事ができるみたいです。 
 
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お寺のある小さな島があります。
雨期の時にどんなに水位があがっても、ここは何かに守られていて
何の影響も出ないらしいです。
 
この島で目についたのが、マレーシアでもよく見る華人の家や人です。
やはり明らかに顔が違っていて、カンボジアのほとんどの人がクメール人だと思っていたので
こんなところにも華人がいたとは。ちょっとした驚きでした。
 
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皮のお土産。
少年たちが、コンコンコン、と作ってます。 
 
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そして、カンボジアが終わりマラッカへ。
カンボジアはやっぱり良いですね、楽しかったです。
また行きたくなりました。 
 
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そして、空港からタクシーに乗りマラッカへ。
 
相変わらずトランスや演歌みたいな音楽を流しながら
自転車を漕ぐおっちゃんたちはシュールでファンキーです。

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ボートに乗ったり、マラッカのババ・ニョニャ料理を食べたり、
マラッカ観光も慣れたものとなってます。 
 
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泊まったホテルは、チャイナタウンにあるホテルで
アンティークがあったり、やたら奥行きがあったり
なかなか味のいい雰囲気が出てます。
 
「っぽい」です。 
 
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涼しい日本から来たというのもありますが
母親たちはマレーシアの暑さ、喧噪ににやられていました。
どうやら自分は少しばかし慣れているようです。
だから、あまり歩かないプランで
アフタヌーンティーしたりしました。 
 
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そんなこんなで、お土産においしいカヤジャムを持って
母親たちは日本へ帰って行きました。
海外旅行を楽しんでくれたみたいなのでよかったです。 
 
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カンボジア 1

母親とその友達が来たので、ちょっくらカンボジアとマレーシアを案内しました。
 
到着日は、翌日の朝エアアジアでカンボジアに発つ便だったので
空港の5星ホテルに泊まってしまいました。
マレーシアを旅行する時はいつもそこらへんの宿なので
こんなキレイな‘宿’ではなく‘ホテル’に泊まるのはどれくらいぶりでしょうか。
数年前のFWまでさかのぼらないとダメかもしれません。

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マレーシアのホテルには天井にちっちゃくメッカの方角を示す矢印があります。
ここのはちょっとタマネギ型でモスクみたいです。
部屋も広いし、間違いなく綺麗でさすがですね。 
 
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4期生がいPJにいてベトナムから紺野くんが来た時に
エアアジアが何十時間も飛ばなかったので、ちょっと気にしてましたが
問題なくカンボジアへ向けて出発。気持ち的には久しぶりの海外旅行です。
 
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空港には泊まるホテルのトゥクトゥクが向かえに来ていて
タクシーでは感じられないトゥクトゥクで風を切って走る感じや、ほこりっぽさ、
覚えてる道や建物は、数年前のFWを思い出させました。気分がいいですね。
 
FWをしていた時にアンコールワットのチケットを買った時は
横の小さい建物で写真を撮って、それをチケットにしてー
って流れだったのですが、3年も経てばそりゃ進化しますね。
カウンターにはデジカメが付いててすぐに顔写真付きチケットが発行されました。
 
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遺跡のあちこちには階段や歩く場所ができていたり、
前に来た時は普通に通っていたルートが通れなかったりと
いろいろ変わるんですね。
 
変わってないものは、やたらおいしいココナッツジュースです。
このジュースの味も好きですが、中の白い実もなかなか。
でも何がいいって慣れた手つきで鉈をふるってカットされたココナッツを
遺跡を横に飲むってのがたまらんのですね。
 
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アンコールワット。相変わらず観光客はたくさんです。
ちなみにドライバーさん曰く、アンコールワットの観光は
午前だと写真を撮る時に逆光になってしまうので午後がいいらしいです。
 
しかし、ただ遺跡を見ながら歩いてるだけじゃ何も分かりません。
そこで前からやってるのが、誰かのガイドさんの説明をちょっと聞くこと。
「ここには水があったんです。」とか
「このレリーフの意味は〜、、」とか、それを聞くだけで見え方が違くなります。
がっつり聞くのはあれですから、ちょっとだけです。
 
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しかしまあ、一人で旅をしていたら絶対に泊まらない、
泊まれないであろうホテルへ泊まるので、たまにはこういうのもいいですね。
 
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アプサラダンスショー。
一人で旅をしてたら行きにくいですが今回は見れました。 

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アンコールワットの朝日です。
ほんとは気球に乗って朝日を見るプランもあったのですが、残念それは今回はパス。
ちょっと小雨の振る中、だんだんと明るくなる空とバライに映る逆さアンコール。
最高に晴れたらもっと綺麗だったのでしょうが
そうじゃなくてもアンコールワットの朝日は綺麗です。 
 
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観光地で観光客を見ると、どうしても、
あっ、これは あれだ。って思ってしまいます。
こりゃしょうがないですね。たぶん。
 
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つづく
 


クアラ カンサー

クアラカンサー(Kuala Kangsar)へ行ってきました。
 
クアラカンサーへはクアラルンプールから電車とバスで行く事が出来ます。
しかし、電車はなにかと手間がかかるためいつものようにバスで。約4時間。
 
18世紀にスルタンがこのクアラカンサーに移って来て
今も町から少し離れた場所におっきなお屋敷を構えて住んでいます。
だからでしょうか、町並みが普通の地方の町よりきれいな所がたくさんありました。
マレーシアは昔、世界一のゴム生産の国だったのですが
最初のゴムの木の生産はここの町から始まったそうです。


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カンサー川かペラ川。どっちか分かりません。
でもこの川沿いはちょっといい感じです。 
 
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マレーシアにはモスクがたくさんありますがクアラカンサーにある
このウブディア・モスクがマレーシアで一番綺麗だと言われています。
 
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12〜17才の少年が勉強している名門のマレーカレッジ。
数々の有名人がこの学校から出ています。 
 
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地方の町の駅のホームに寄ってみると、いつも静かです。
いつかは電車に乗ってみたいもんです。どんな電車なんでしょうか。。
 
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マレーシアでは日曜日の朝から昼までマーケットが開かれているのをよく見ます。
個人的にはマーケットの雰囲気に違いはあれど
どこの町も売っているものはほぼ同じな気がします。
雑貨があったり、服、おもちゃ、野菜、魚、軽食、飲み物などなどです。
 
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マレーシアでは珍しく食べ物屋が少なかったこの町で、川が印象的でした。
と、まぁそんなかんじにクアラカンサーからKLへ。 
 
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ディパバリ

10月17日はヒンドゥー教のディパバリ(Deepavali)でした。
これは日本でいうところの新年みたいなものらしいです。
今回はインド系マレーシア人の敬虔なヒンドゥー教徒、
ムニアンディさんお宅へおじゃましまして、
マレーシアのディパバリを直に体験しに行ってきました。
彼ら曰く、今年はヒンドゥー教の暦の中で300年に一度あるおめでたい年らしいです。
 
クアラルンプールからバスで約2時間のマレー半島ペラ州のビドール(Bidor)まで行き
家族に向かえに来てもらって家のあるスンガイ(Sungai)まで行くことになってました。
しかし、これまた最近はガイドブックが使い物になりません。
行く場所、行く場所がローカルすぎて載ってないです。。
 
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向かえに来てくれたのは末っ子のプラカーシュ。
プランテーションをくぐり抜けながら家に向かう途中、家族の事についてちょっと聞きました。
8男5女の大家族らしいですが、末っ子のプラカーシュ以外結婚していて
みなマレーシアやシンガポールなどいろいろなところに住んでいます。
このディパバリの日だけは男兄弟の家族は全員この家へ帰ってくると言っていました。
一番上が60歳で末っ子が25歳!?
えっ。なんですか、それ? 父と子くらい離れています。
そんな年の差兄弟姉妹は、さすがに初めて聞きました。。
 
家に着くと、良い感じのお父さんと、お母さんが向かえてくれて
「もう、きみは家族の一人だ。ゆっくりしなさい。」
と言ってくれて、さっそくカレーをいただきました。
これまた、おいしいのなんのって!
ちなみに、ディパバリ前日と当日は身体を清めるためにベジタリアン料理です。
肉はいっさい口にできません。
 
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家のディパバリ装飾をやってました。
お祈り部屋やらにお花を置いたり、床に書いていたりと。
 
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ディパバリの時はキャンドルを作るのが基本らしいです。
あんたも手伝うのよ。と言われ、紐を切ってオイルをたらして作りました。
これまた、そのオイルの名前がプージャ・オイル。
プージャとはなんと懐かしい響きだことか。バラナシを思い出します。
灯をともすと、インドへ行った時とまったく同じ匂いがして
おおっ!という感動とともに、匂い喧噪雰囲気、記憶が鮮明によみがえりました。
 
お父さん、お母さんはは敬虔なだけあってお祈りも欠かしません。
バラナシで見たプージャのお祈りの仕方とほぼ同じでした。
ミニ・プージャです。
しかし、子供たちは違うようです。
時代が変わって、おれたちは新世代なんだよ。と言ってまして
父母ほどお祈りはしなくなっているそうです。
 
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家の至る所にヒンドゥー教の神様たちがいます。
  
      アマン                
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                         サルスファディ
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      ムルガン               ガネーシャ
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      クリシュナ
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そして、ディパバリ当日です。
朝の沐浴をして身体を清めた後、伝統的な服をもらいました。プレゼントです。
ジパというシャツ、ウェスティという腰巻きに、トンドゥという紐を締めて
お祈りをして額にぽちっと白・黄・赤の順に付けてもらいました。
なぜか、自分とお父さんだけで子供たちや孫たちは誰もしません。なぜだ。。
朝食は食べません。
身体が清いまま一緒にヒンドゥー教寺院へ。
 
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最初に行ったのは、スリ・マハ・カリアンマン(Sri Maha Kaliamman)寺院です。
着いたらお祈りをしながら寺院の上を時計回りに祈りながら回ります。
ガネーシャが祀ってある場所では、その作法があったりと
お父さんはやってましたが、孫たちはそれを見るばかり。。
と、本当に時代の変化を感じさせられます。
 
イエール(Iyer)に家族全員の名前をお祈りしてもらって、数滴のミルクをもらいます。
その後、黒い甘いお米をもらって食べ、すぐには帰らないのが基本らしいです。
お祈りが終わったら、寺院で座って少し話すそうです。 
 
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2つ目はスリ・ムルガン(Sri Murugan)寺院。
さっき行った寺院より少し規模が大きくて、人も少しいました。
ここでも時計回りに回ってお祈りをして、イエールに祈ってもらいます。
そして、お祈りの後はココナッツに花がたくさん入ったのをもらってました。
幸運の意味です。
 
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家へ帰ると昼食です。
トーセイというクレープのようなものを、チャティニというソースにつけて食べます。
チャティニはカレーとううよりはソースに近いものらしいです。
この日は、トマトとにんじんのチャティニと、ココナッツとカレーリーフのチャティニでした。
 
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他のお宅へおじますると
ガネーシャを砂で描いたものがあったり、短冊のようなディパバリ・カードがあったり
姉妹がみんな正装してたりしてました。
ほんとはサリーを着るはずなのですが、最近の若い世代は
サリーではなくパンジャビ・スーツを着る人が多いらしいです。
おそらくサリーを着るとお腹が出るからなんでしょか。
どっちにしろ、きれいです。
相変わらず日本人が突然来るから驚かれますが。。
 
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シンガポールから来た孫たちがいつも楽しみにしているものが家のすぐ近くにあります。
スンガイ・ホットスプリング・パーク(Sungai Klah Hot Springs Park)の温泉です。
ボルネオに旧日本軍が見つけた温泉があるのは、ガイドブックで知っていましたが
マレー半島内にもあったとは、知りませんでした。
家族の一人が以前この温泉施設で働いていたらしく、割引です。
 
数十年前までは小さな自然の温泉があっただけでしたが
今では立派な宿やアーユルヴェーダ・マッサージ、温泉卵、足湯などなど
たくさんあって、温泉公園みたいになってます。 
 
家族たちは最初水のプールに入って、それから温泉に入るのを基本としてます。
日本人の自分が温泉へ入った時は、そりゃびっくりしたのなんのって。
一時帰国した時も毎日シャワーだけだったので
数十ヶ月ぶりの温泉、湯。うわーーーーーっ!!って声は出ませんね。
感動もんです。
湯加減も場所によってぬるかったり、少し熱かったりと選べます。
ゆっくり、ゆっくりつかってました。
なにせまた数ヶ月先までお湯につかれないのですから。堪能しなければ。
しかし、家族の中には腰までしか入れない人もいました。
なぜなら毎日水で身体を洗っているため、お湯に慣れてないのです。
うおーーっ!なんだこれは! って言ってました。
 
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ハリラヤの時と同様に、ディパバリの時もお菓子を各家庭で手作りします。
基本的に全部ビスケットと言います。
さあ、さあ、食べなさい。 
 
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甘いお米と、黒いドーナツ。黒糖の色と甘みです。 
 
      プルッライス               アツィラサム
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      アチムルク                ストゥムルク
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アチムルクもストゥムルクも米粉と水から作られていて、
アチは型という意味で、星形やらいろいろな形を作ります。
 
ストゥムルクはストゥムルク機というのがあって、
油で揚げる時に、こう、ぐるぐるぐるっと回しながら作ります。
生地が出るところの型を変えれば違う形になったりと、そんなかんじです。
黒いドーナツもムルクもインドの伝統的なお菓子で分量を少しでも間違えると
作れなかったりと、作るのが難しい。と言ってました。
だから、各家庭で味が違います。
家族たちはそれらお菓子をたまに手にとっては、ぽりぽりと食べてました。
 
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パタイという豆です。
パタイはこの付近のジャングルでよく穫れるみたいで
マレーシアの原住民であるオランアスリが売りに来てました。
KLで買うのとくらべて3分の1くらい安いです。
しかし、これまた強い匂いです。
日本でいうとこの納豆みたいなかんじでしょうか。
これを翌日カレーに入れてました。

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ココナッツを料理の中に入れる時、この家庭では削るところからです。
お母さんがココナッツ削り機に座って、手際よく
ザッ ザッ ザッ ザッ っと白い部分を削ってました。
自分は朝の沐浴です。
そしてお祈りをして、お父さんにポチッと付けてもらいました。
なざか毎日ほんとに自分だけです。
他の家族も誰かやったら良いのに。。 
 
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この丸くて白いのは イテリー といって米粉を水で溶かして型にいれて蒸したものです。 
チャティニと一緒にいただきます。
 
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この日からはベジタリアン料理じゃないのが食べれます。
たくさん出てきました。
黄色いご飯は ビリヤーニライスで普通のお米より高いです。
それとチキンカレー、マトンカレー、フィッシュカレー、エビカレーにパタイカレーです。
きっとFWでインドにいた時はこれらのカレーを食べても辛さは感じなかったのでしょう。
しかし、毎日辛くない料理ばかり食べているので
ほんとにすごくおいしいのですが、辛いのなんのって。。 
食べろ、もっと食べろ、さあ食べなさい。えっ、もう食べないの?
と言われるがまま食べ続けました。
そして食後にはラサムというスープを飲みます。消化の働きを良くするらしいです。
 
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お腹いっぱいで座ってると、
ほらケイタ、ランブータンだとか、マンゴスチンだよ、ドリアン、バナナ食べなさい。
って言ってくれるので、またまた食べます。
自分がたくさん食べれる体で良かった、と思いながら。
ちなみにこれらの果物は全て家の回りにあります。
ランブータンは今季節のようで、すごいたくさん実がなってます。
ランブータンと言えば赤ですが、黄色いランブータンもあって味が若干違いました。
赤のがちょと甘かったです。 
 
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そんなこんなで今回のディパバリ体験も終わりました。
  
すごく、すごく親切にしてくれてうれしかったです。
ハッピーディパバリ!
ムニアンディさん一家、ありがとうございました!
 
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さあ、次はどこへ行きましょか。 
 


中秋

10月3日は中秋節でした。
マレーシアは曇りで綺麗な月は全く見えませんでしたが
みなさんの場所はどうだったでしょうか。
日本でもこの日はお月見したり、お団子食べたりとお祝いをしますが
ここマレーシアの中華系もお祝いをします。
 
またまたどこかのご家庭へ行きたかったのですが
そうぽんぽんと家族は見つかるわけでもなく。
どうしようかと学校の帰りぶらぶら。
 
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中華系の知り合いに連絡をとって情報を集め、今年始めの旧正月の時に行った天后宮へ。
KLセントラル駅の近くの丘の上にあります。
 
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天后宮には結婚の書類を提出する場所がありまして、この日はめでたい日なのでしょう。
たくさんの新郎新婦とその家族、友達がいました。
ドレスを着てたからあれは式の前だったのでしょうか。
ホールの中ではオリジナル提灯コンテストなるものがあるらしく、いくつかの家族が作っていました。
友達家族も参加していて、毎年やってるそうです。
赤い紙とにらめっこしてる人もいて、何やらメモをとっています。
問題らしく、どんな意味なの?? と聞いても
ん〜。。なんて説明すればいいんだろう。 と言われ、結局よく分かりませんでした。
おそらく、なぞなぞのようなものなのでしょう。
 
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獅子舞(ライオンダンス)です。
高校生くらいの子たちが、ジャン!ジャン!ジャン!ジャン!とやたら大きな音を奏でてまして
それに合わせて獅子は2人1組で演技して、台の上で立ったりしてました。
おおーー、という声とともに子供たちは群がって獅子にタッチ。
たぶん触ると縁起がいいんでしょう。
 
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おそらくどこかの有名な人のかけ声で提灯に灯がともされました。
この提灯もろうそくも無料で配ってて、友達と自分ももらって付けました。
どうやらこの提灯を持って散歩するらしいです。なぜ?
分かりません。
みんな天后宮の下から上へぐるっと回って散歩してました。
マレーシアでは中秋節のこの日を、ムーンケーキフェスティバル(月餅)と言ったりしますが
ランタンフェスティバルとも言うみたいです。
だからこの提灯にもきっと意味があって、お祝いの印なのでしょう。 
 
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夜遅くまでたくさんの人がいて、イベントしてました。 
 
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友達とともにスチームボート。
串についたのを、ぐつぐつと煮立ったスープのようなものに入れて食べます。
お店でも食べれますが、屋台のようにKLのそこらへんでもこのスチームボートは食べれます。
 
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ホールではあの赤い紙の答え合わせをしていて、
友達家族も提灯コンテストの発表を待ってました。
しばらくすると、みな帰り始めたので駅まで送ってもらって帰りました。
月餅も食べましたし、いちおう中秋節っぽくなったでしょうか。。 
 
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ジェンカ25

4期生が日本へ帰国し2009年のフィールドワークが終わりました。
あらら。
去年3期生のFWが終わってから思った
一人だけやたらフィールドワークしてるブログをアップする。
という季節が、今年もまたやってきました。
しかし、気にしません。更新を続けます。
 
前回、ハリラヤ・プアサでお世話になったラザックさんの紹介で
今回はパームオイル・プランテーションへ行ってきました。
Jerantut(ジェラントゥトゥ)から1時間くらい車で行ったトコにある
新しいカンポンjengka25(ジェンカ25)という場所です。
 
ジェラントゥトゥへはいつも長距離バスに乗る時に使っている
プドゥラヤバスステーションではなく
ティティワンサ駅にあるペキリリン・バスステーション場所から。
約3時間。

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ラザックさんの友達のタムリンさんが向かえに来てくれていて
ジェンカ25を目指します。
途中、地元ではちょっと有名なあるお墓に寄りました。
そこには過去、英国と戦ったマキラウという戦士のお墓があります。
マキラウの話をタムリンさんから聞いたのですが
ちょっと忘れてしまいました。。。
この墓地ができた数百年前はまだ墓石に明らかな装飾的形はなく
川から持って来た石を墓石として使っていました。
今その石は、リバーストーンと呼ばれているそうです。
 
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イスラム教のお墓の見方をちょとだけ教えてもらいました。
 
    女性のお墓                 男性のお墓 
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マキラウのお墓とその関係者のお墓には囲いがしてあって一目で分かります。
しかし遠くからぱっと見ただけでは、
ここが墓地であると判断するのはちょっと難しいかもしれません。
 
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そして、ジェンカ25に行く前にタムリンさんの親戚の家で
昼食をいただきました。
まだハリラヤシーズンなのでクエも残っていて
魚はその日に川からとってきたやつだそうです。おいしい昼食でした。
手で食べるのですが、FWでインドへ行った時に
インド人から手での食べ方、使い方を教わっていたので
良かったです。何となくは食べれます。
しかし一品、強者
緑色の豆をドリアンの発酵したものに付けて食べます。が
そこはさすが発酵ドリアン。ドリアン度、3倍です。
おうふっ、ですね。 
 
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どこか開けた場所に出たと思ったら
そこはjengka24(ジェンカ24)という場所で
目的地の隣のプランテーションでした。
パームオイルが全部倒れていて
その景色は、嵐の後か、なにか悪い事が起きた後のようでした。
異様な光景です。
パームオイルは25年たつとその役目を終え全部倒すらしいです。
ブルドーザーみたいので、ガーーーーーーーっと一気に。
燃やしたら環境に悪いから、倒したパームオイルはそのままにして
自然の力で土になるのを待ちます。
そしてまた新たなパームオイルを植えて、というサイクル。
 
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今回お世話になったのは、プランテーションで働くアスリさん一家。
家族全員、英語が本当にできないし自分もマレー語全然できないし
おおっと
どうしたものかと思いましたが
そこは指を差し続けコミュニケーションをとりました。
地味になんとかなってしまうものです。。
しかし、さすがにチョンカというビー玉遊びは説明が必要でした。
簡単に言えば、自分の陣地により多くビー玉を入れれば勝ち。というゲームです。
末っ子には勝てたのですが、やはり姉は強かったです。ぼこぼこでした。
 
少年たちが集まって来て、Cantik(チャンテ)の練習をしてました。
太鼓がゲンダン(Gendang)、ドラがゴン(Gong)です。
カッ・ダン・カッ・ダン・カッ・ダン・ダンっていった具合に
教えてもらいましたが、ぜんぜん音が違ってダメですね。
 
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そして、プランテーションへ。
 
家からプランテーションへはバイクで10分くらいです。
そこはいろいろな木々が鬱蒼と繁るジャングルでもなければ
人の手が入った森でも林でもない。
そこは、等間隔にパームオイルヤシがずらりと遥か彼方まで並んでいる
プランテーションです。 
 
数メートルはあるであろう長いノコギリを使って
ゴキゴキ、ゴキゴキ、、
ドサッ!!! ゴロゴロゴロロロロロロ。。。。
っと勢い良く落ちてきます。
さすがに離れててね。と言われました。
何てったって一房5キロくらいはありますから。
 
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このプランテーション開拓カンポン(村)、Jengka25(ジェンカ25)は
1984年からジャングルを切り開きプランテーションと村を造り始め
1986年から人々の定住が始まりました。
政府が各州からお金と仕事のない人を募り、パームオイルの収穫という仕事がもらえ
一家族、全部で4ヘクタールあるうちの1/4エーカーのプランテーションを
政府から借金をして買いました。
(ちょっと、プランテーションの規模は正確には覚えてません。。。)
だから、このカンポンに住んでいる人たちの出身地は別々のようです。
ちなみに当時の価値で30000RM(約840000円)だった土地と家が
今では200000RM(約5600000円)の価値まで上がりました。
 
一ヵ月働き、パームオイルを収穫すると政府に230RM納めなければいけません。
アスリさんのプランテーションからは毎月平均5−6トン、最大で10トンの収穫があり、
1トン=約400RM(変動します)の収入となりますから、
毎月の230RMはそんなに高くないそうです。
ジェンカ25のプランテーション全体で一月最大800トン収穫できる時もあったそうです。
昔に土地を買った人が今では違う仕事をしている人もいて
そのような人は、他の人を雇っているそうです。
アスリさんは全部で60エーカーのプランテーションを見ていて
1トン=約35RMで買ってもらっています。
 
残念ながら、やはり行った時期はまだハリラヤシーズン。
プランテーションの中で働いている人もちらほら。
 
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プランテーションの中に切り株はありますが、
パームオイル以外の高い木があまり見当たりません。
それは、除草剤を散布しているからです。
撒いてると見えない霧になってしまって、それを吸うと身体に悪いため
作業をする人はしっかりしたマスクを付けてます。
「じゃあ土に悪いんですか?」 と聞くと
「そんなことはなくて、適量を撒いていて土を傷めるほどは撒いていんだ。」そ
と言ってました。
 
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そして、昼食を食べてモスクへ。 
 
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今回は前回とはちょっと違います。
服はバジュマラユですが、ソンコ(Songkok)という帽子をかぶらせてもらいました。
どーですか。ぽいですか。 
 
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ハリラヤシーズンのおたく訪問にも同行しました。
赤と緑のクエ(お菓子)はGelembung Buaya(ゲレンブン ブアヤ)といって
ケランタン州で主に食べられているものです。 
小さいケーキはBahulu(バフル)といって、味はだいたいプレーンです。
 
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夜、アスリさんの家にも少年少女が訪問に来ました。
チョンカを自分とやって二人抜きしてやりましたが、
さすがに現地の人に連勝は無理です。。
どうやら、お年玉のようなものをもらいにきてるみたいです。
 
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そして、家族と一緒にごろんと横になりながら、マレーシア人たちが代わりばんこで
ほとんどのタイトルが「ハリラヤ」の歌を歌ってるテレビ番組を見て、
眠くなった人から寝ました。
 
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翌日、もうちょっと泊まっていようと思ったのですが
ハリラヤKL帰省ラッシュでバスのチケットがとれないとの事。。
ありがたい事に、前回お世話になったラザックさんの知り合いが
KL方面に戻るとのことなので送ってもらいました。
 
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アスリさん一家、ありがとうございました。
 
さてさて、次はどこへ行こうか。。  
 


ハリラヤ・プアサ

マレーシアのラマダン明けのハリラヤ・プアサを体験しに
マレーシア半島のまん中らへんのカンポン(村)へ行ってきました。
 
去年、英語学校のマレー系の先生に
「ハリラヤはどこへ行ったら見れますか??」
と聞いたところ
「ハリラヤは普通オープンハウスって言って
 親戚や友人宅を回るんだけど観光客用じゃないんだよね。」
と言われ、断念した去年。
 
しかし、マレーシアの大きなイベントの一つ
ハリラヤを体験せずにマレーシアが語れるか!
と思い、誰か招いてくれないかなー。とか思ったり
前の英語学校の先生のツテを頼ってみたけれど
なかなかハプニング的に行ける事にはならないみたいです。 
しかし、なんとか かんとかして
ラマダンが終わる2日前に約束を取り付けることに成功しました。
これはおそらく日本で言うと
正月の2日前に外人が、日本の正月が見たいから見せてください。
そんなかんじのお願いだったと思います。
とても急なお願いだったのに、ありがとうございました。。
 
と、向かう家がある州がパハン州というところなのですが
誰に聞いてもその向かうべき住所を知らなかったので
州の一番大きな街クアンタンへ。
帰省ラッシュと思われたプドゥラヤ・バスステーションから
前日チケット買いで出発。
途中の高速道路はやはり帰省ラッシュの渋滞でした。

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しかし、いざクアンタンに着いてみると
あらら、、向かうべき街はジャラントゥトゥという街で 
クアンタンから3時間かかるとのこと。
しかもバスの出発が夜8:30。。。
もっと調べて出発しときゃよかった、と思いつつ
クアンタンの街をぶらぶらしながら時間をつぶしました。 
 
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しかし、なんといっても
この日はラマダンデイ。ほとんどの飲食店は昼は開いてません。
だから中華系の店を探して昼食。
 
クアンタンにもラマダン期間限定屋台がたくさんでていました。 
 
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そして、出発の夜8:30。バス来ず。
結局バスに乗れたのは1時間後の9:30。
受け入れ先のおっちゃんにも出発した事を告げ
降りしきる雨の中、出発。
 
到着する少し前、バスの兄ちゃんがCDを変えてると思ったら
アッラーーーー・ハリラヤーーーーーー・・・・。。
みたいのが急に流れ出したからびっくりしました。
ラマダンが終わり、マレーシアのハリラヤ・プアサの始まりです。
 
ジェラントゥトゥに到着したら、ちゃんと向かえに来てくれていて
一緒に乗ってた西洋人2人は深夜到着に若干不安そうでしたが。。 
セラマット・パギ、ラザックさん。
よろしくお願いします。
 
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訪れたカンポンは「KAMPUNG LADA」 日本語で唐辛子の村です。
村を一直線に走るクアンタンへ通じる道路は199○年に整備されて
それ以前はマレーシア半島一長い川を船を使って移動していたらしいです。
ちょっと前の話ですが、信じられませんでした。
でも、家々は川沿いに建っているのが多いし
まだボートが置いてある家がたくさんあったので本当です。
 
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朝8時、父と長男は正装してモスクへハリラヤのお祈りをしに行くので
付いて行きましたが母と娘たちは食事の支度やらで忙しそうにしていました。
いざモスクに着いてみると、ほんとにローカルな場所でした。
こんな自分みたいな外国人観光客がいない場所なのでどきどきしつつ
「写真撮っていいんですか?? めっちゃ見てるんですけど。。」
「大丈夫、大丈夫。 見てるだけだから。」
といった具合だったので安心しましたが
アッラー・アクバル、アッラー・アクバル。。。
やはり、ジロッ、ジロッ。見られますよねそりゃ。
 
子供たちは大人たちのお祈りをジャマしないようにモスクの一番後ろに座っていて
女たちは白い格好をしていて、あれが正装らしいです。
約30分くらいのお祈りでした。 
 
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自分もマレーの服を着させてもらいました。
シャツがバジュマラユで、布がサルーンという名前です。 
 
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ケイタ、これが一家のハリラヤだぞ。
と言ってはじまったのが
父→母→長男→長男妻→長女・・・・と続くあいさつでした。
何を言っているか聞くの忘れましたが
今年の感謝とかとかだと思います。
日本で言うお年玉もあり、小さな封筒に数リンギット入ってます。
やはり子供たちは楽しみにしていて各家に訪れた時にもらってました。 
 
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お墓参りをしに行った後は
各家々がオープンハウスしているので
巡るのに同行させてもらいました。
家に行くと必ずお菓子と、軽食を食べるので
一日中食べっ放しです。
これでは、学生帰ったからダイエット開始計画が全くできなさそうです。 
 
どの家に最初に行って、次はこの家、その次はこの家。。
と訪れる順番も大事なんだと言ってました。
 
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ゴムの木がありましたが
ハリラヤの期間は働かないので液がなにも溜まってませんでした。 
 
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      お菓子             シラップ(花の香りを付けたジュース) 
 
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インドでもあるような、葉っぱとか実を粉々にして
食後に噛むやつです。独特な味がします。

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ラザックさんが、日本軍が来た時に線路を作った人がいるから話を聞きに行こう。
と訪れた近所の家。
 
81歳のオスマン・ビン・マットさん
1943年8月18日、当時彼が17歳の時に
突然、日本軍に連れて行かれて線路工事の労働をさせられました。
他の1000人のマレーシア人と共に、最初5日間の監禁。
小さな部屋に1000人もいたため寝るスペースもなし、
食事は白飯に塩味の海魚だった。 
6日目、1000人と共に電車に乗せられて移動開始。
グマス→KL→イポー→アロースター→タイに入り、チョンポン→バトゥサトゥ
→バトゥ・スミランプロリマという所へ。
994人のマレー人、華人とともに労働を開始し
彼は線路の65km〜95kmの30kmを担当。
なぜか華人たちだけが橋造りに携わっていたという。
994人の労働者たちは7つの家に分かれて住んでいたが
30%は特に医者もいるわけでわなかったし、悪い労働環境のため亡くなった。
幸い彼は一切病気にはならなかったが
誰かが病気にかかると日本兵が病人をどこかへ連れて行ったらしい。
それがどこかは誰も知る事はできなかったが。
 
1945年9月、日本軍は労働者を解放。
しかし、日本軍からの給料や感謝の言葉一つもない。
グマスという町で家のあるジェラントゥトゥへ戻る列車を待ったが
一向に列車が来る気配はない。
だから7日間かけて歩いて自分の町へと帰った。
 
日本兵は彼らをたった一度も殴ったり、叩いたりはしなかったが、
覚えていた日本語は「バカヤロー」だった。
マレーシア政府も、学者も、誰もこの歴史に気を示さなく悲しいため
もし話を聞きに来たい人がいればいつでも来て良い、と言っていました。
話を始めるとどんどん日時、大きさ、空気とか
すごくハッキリと歴史を思い出すのですごかったです。
ラザックさんも、後数年したらこの話は聞けなくなってしまうから
どうしたものかと言っていました。
 
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泊まっていた場所は家族が寝ているとこではなく
ちょっと離れにた場所に作ったシャレー。
早朝にニワトリの声が響き渡りますが、夜は静かだし、蚊は出ないし
すごく、すごくキレイでびっくりしました。 
 
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家巡りは続きます。
ちなみにお菓子は各家の手作りで クエ と呼ばれています。
 
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観光客は魚は食べるし見た事あるけど、どっから来るのか知らないだろ!
ここからだよ。と、魚の養殖をしてるトコです。
一掬いするだけで数匹とれます。

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家訪問は続き、
同時にクエと軽食も食べ続けます。 
 
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  食後に食べる甘い米 
 
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    薄くスライスしてかむ実             ドリアンの花 
 
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食べる時水に付けて膨らまして食べるそうです。   と     昔のボート。 
 
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スンガイ!! 
と喜ぶ声とともに向かった小さい川。
行った時間に他に人はいませんでしたが、
休日の朝とかはすごいたくさんの人が泳ぎにくるらしいです。
気持ちよく泳いでたら筋肉痛になりました。
この身体も弱ったもんです。。  
 
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夜、どこからともなく聞こえてくる花火を聞いて
家の少女たちが始めたのは新聞気球って言うんでしょうか。
新聞紙の四つ角をとめて、火を付けると
あらあら、ふらふらと飛びます。
が、これがまた成功の頻度が低くて難しいんです。 
 
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この白いのはご飯です。
ホントはハリラヤ1日目しか出さないのですが
余るとこうして食事に出てきます。
細い竹にご飯をつめて、昔ながらの方法で作っている家もまだありますが
今はスーパーマーケットに茹でるだけのやつが小分パックで売ってます。
 
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KLへ戻る時にタッパに入ったクエをもらいました。
 
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突然ハリラヤにおじゃまさせてもらって
ホントにありがとうございました。テリマカシ。
みっちりハリラヤを体験できました。 
 


マレーシア 19

さあさあ、4期生のフリー期間もほぼ終了。
 
藤原くんはもちろんこのPJ施設にいまして
山本さん志村くんは直接釜山へ行くので
ここへは戻って来ません。
インドから高橋さんが早朝マレーシアへ戻ってくるので
空港まで向かえに行く事を告げず
藤原くんとともにもっと早朝に出発。
 
が、彼は寝坊。さらに頼んでおいたタクシーも来てない。
ドライバーさんは8時半だと思っていたらしいです。
しかし電話して起こしたら、すぐに来てくれ空港へ。

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せっかくなので、マレーグッズを持って行って
旅行会社風に〈高橋〉の画用紙も。
藤原くんが隣にいたマレーシアインディアンの女性たちと楽しく
英語学校の経験を生かし喋っていました。
なんなら、この人たちにも「タカハシ」言ってもらおう。
ということで、本人にしてみればよく分からない
サプライズな迎え方をしました。
 
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記念に一枚はもちろん
「サトゥ!  マレーシア!!」 です。
これ日本でも使っていいですよ。 
 
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そして、インドからの移動で疲れているであろう
高橋さんと藤原くんと3人でKL観光へ。
藤原くんはさすが学校行っていただけあって
KLの街を少し知ってました。
あ、気づけば高橋さんの手には何やらインドっぽいやつが。
メンディと言うものらしいです。 
  
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記憶が正しければ3年前に自分がFWした時に、 
このKLタワーに登ったので
久しぶりにKLを上から見たかったので行きました。
あいにくこの日は曇り。
遠くまでもやのようなものがかかっていて
ハッキリ見えなかったです。 
 
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景色が綺麗に見えなかろうがそこはフィールドワーカーです。
望遠鏡を使ってハントしてました。 
 
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ここでも、サトゥ・マレーシア! 
 
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このKISSATENへも学生は最後なので3人で行きました。
一人だと絶対に行かないので、自分もしばらく行かないでしょう。
店員さんたちもさすがに覚えていて
あーあ、寂しくなりますねぇ。 
 
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「藤原、明日も出かけっけど行くべ。」
「えっ。でも掃除をしないと。」
「やんなくても大丈夫だって。徳田基準でできないとやってないのと同じだから。」
「でも、やらせてください。がんばります。」
「そこまで言うんなら、しょうがねぇ。」
と、こんな会話をしつつ
藤原くんの掃除っぷりを期待しつつ、高橋さんとともに
3年前、五十嵐先生が行った森林研究所へ。
 
朝はロティチャナイとテータレです。
この組み合わせはマレーシアでは定番中の定番。最高です。 
 
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コミューターという電車でケポンまで行き、そっからタクシー。 
 
木の上数十メートルにあるキャノピーウォークという橋がここの目玉なのですが
ちょうどこの日が月曜日で
残念。 休み。
やたら大きい枯れ葉で蚊をふせぎつつ、それでも刺され続けながら
ジャングルをうろうろしてました。

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水族館へ。
これも3年前に紺野くんらといったトコです。
小さいサメやヒトデに触れたり
エサタイムがあったり地味に楽しませてくれました。 
 
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このエイですか、かれらは。?
裏が顔見たいになってるので不思議でしょうがありません。
いったいあれは何?? 口です。
あの明らかに口っぽいトコでむしゃむしゃ魚を食べてました。
彼らは自身の裏が顔みたく、むしろ顔になっている事に
気づいているのでしょうか。 
水槽の中で泳いでいるだけなのに
なにか恥ずかしいものを見せられているみたいです。
 
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ウォンさんともお別れ。
近くのダックが美味しいお店へ。
写真を撮るときゃ、そりゃ
サトゥ・マレーシア。
 
ウォンさん今年もいろいろありがとうございました。 
 
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最後に足跡帳を書いてタクシーの時間を待ちました。
入り口の前でも
サトゥ・マレーシア!
藤原くんよ、こりゃ日本帰っても思わずこのかけ声しちゃうんじゃないの。 
 
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そしてとうとうお別れです。
藤原くんとは一番長く共に暮らした仲となりました。
感極まってぐずぐずする彼。
ほんとに、ありがとうございました。と言ってくれました。
いやいや、藤原くん。
こっちこそ楽しかった、ありがとう。 
 
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4期生たちが5月に来て、9月までずっと独り暮らしじゃない感じでした。
それだけ楽しかったからなんだと思います。
ありがとうフィールドワーク4期生。
もうほんとうに、帰国ですが最後まで気をつけて
楽しんで日本に帰ってください。
日本に帰ってからもお元気で。
 
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ホントにありがとう、出会えて良かった。
また会えるのを楽しみにしてます。
 
  


マレーシア 18

藤原くんと約2週半の共同生活でした。
 
男二人になったので、自炊するのもなんなので
外食ばかりしていたら胃腸の調子がおかしくなった時がありました。
しかし、そんな時はパパイヤです。
藤原くんにも騙されたと思って食べてみ。
と言って、食べさせた次の朝。
あら不思議。
なんと胃腸の調子が良くなっているではありませんか。
以前一人でパパイヤを食べた時にこの効果を発見しまして
どうやらパパイヤには胃腸の機能を回復する作用があるみたいです。
  
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前のブログに2期生の藤森さんが登場しましたが
今回は1期生の山市くんがこの施設を訪れました。
 
「撮影したフィルムがカメラの中でキレてるかもしれないから
 暗室に入らして。」
と言って、軽快に入っていたのですが
山市くんはなんと運の良い男なのでしょうか。
前に自分がもう一つのドアに閉じ込められたように
山市くんも閉じ込められました。
だして〜、どーなってんのー。。
ちょっと待ってて。などなど
幸い、今回は外に人がいたのですぐに開きました。
今回もドアのノブらへんがイカレていたみたいです。
 
そしてウォンさんと、もちろん藤原くんも一緒に夕食。
 
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山市も元気でね、また会おう。
  
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最近はラマダンの期間なのでマスジット・ジャメという駅の近くの
マレー系服屋さんが軒を連ねる通りにいろいろと店が出ています。 
花屋さん。しかし全部カラフルな造花です。
そりゃ、マレーシアの暑い気候で花はキツいのでしょう。
 
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他には、マレー系の服屋がものすごくたくさん出ています。
ラマダン明けのハリラヤというパーティーの為に
みんな新しい服を買うらしいです。
女性用の服のほうがやはり多いですが
男性用の服ももちろん、一式全部揃えられます。もちろん子供服も。
とにかくこの時期、この通りは人でいっぱいです。 
 
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今行っている学校でも記念写真を撮りました。
イラン、イエメン、スーダン、リビア、イラク、
カザフスタン、インドネシア、カンボジア
と先生が南アと英国、そして自分の日本です。
相変わらず多国籍で楽しくやっています。
何が良いって、一番はその国の若者から
その国はどういう感じで、日本で見たニュースや情報について
彼ら自身はどうなのか。
こんな事を聞くのがやたら楽しいです。
 
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プトラジャヤというKLから少し行ったトコにある
行政やらが集まった新都市です。
ここにパスポートの関係で行きました。
3回目ですが相変わらず広いしデカイです。
 
イミグレーションは外国人でいっぱい。
なんやかんやして3・4時間待ちましたが
その間、たまたま前に座っていたイラクの家族と話したり
子供と遊んだりしていたので楽しかったです。
最近こうイラクの人と知り合って
あれ? イラク行けんじゃね(北部コルディッシュ限定)と思っています。
ので、すかさずメールアドレスをもらっときました。 
 
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プトラジャヤにもラマダン中なのでたくさんお店が出ています。
全て食べ物なので、この街で働いている人たちが
仕事の後に買って帰るようです。
もちろんラマダン中なので日が落ちるまで食べれません。
そのため、このお店たちも夕方からです。
自分も買ったのですがそりゃ食べます。
ひっそりとした道に行って、さりげなくほおばりました。 
 
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左はフルーツを売っていて、右はジュースを売っています。
KLの街中でもこういうかんじです。
日本人は少し躊躇してしまうかもな色のジュースたちですが
好きなのもいくつかありますので、よく買って飲んでます。
でも、一番好きなのは豆乳ですが。 
 
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夜、藤原くんが何をしているのかと思えば深夜3時
英語学校の作文の宿題をしているではありませんか。
どうやら自ら先生に言って、宿題をもらってきたらしいです。地味にえらい。
なつかしいのでちょっと横から口出しながら見ていました。
が、やはり彼はまだ未熟者。
藤原くんよ、これを機に英語がますます上達するといいね。 
 
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KLサンセット。
以外に夕方になると曇りの多いKL。
よくこの時間は雨が降ったり、どんよりだったりしてます。
夕日が見れる日は思ったより少ないです、。
自分の英語学校が終わる時間がこの時間帯なので
夕日が出てくれるとちょっとうれしくなってしまいます。 
あっ、今日は見れた。と。 

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たまに藤原くんと一緒に自炊をしました。
簡単に作れるのがほとんどですが
カレーやハヤシライス、鍋っぽいのとか。
それにしても藤原くん、毎回よく食べますね〜。
この時もハヤシライスを食べ続けていました。 
デカイだけあるな。
  
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Merdeka 52nd

8月31日はマレーシア52回目の独立記念日 Merdeka(メルデカ)でした。
去年はパレードの時間が分からなくて
昼に行ったらすでに終わっていました。。
が、今年はウォンさんにも聞いてバッチリ行けました。
 
藤原くんのブログもご一緒にどうぞ。

パレードはマスジット・ジャメという駅から
少し歩いていったところにある国会議事堂の前で朝の8時から。
去年はメルデカスクエアという広いグラウンドの前でパレードを行ったのですが
今年は新型インフルエンザを気にして、規模を縮小したらしいです。
 
藤原くんと共にまだ空が暗い時間に出発。

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国会議事堂までの一本道を進んで行くと
少年少女やらたくさん人が、ずらーーーーーーっと並んで旗を持って降っています。
ある少女に聞いたところによると、彼らはある学校の生徒らしいです。
詳しくはよく聞き取れませんでした。
列の最後尾のところにマレーシアの民族衣装を着た人たちがいたので
さっそく一枚目の記念写真。 
 
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一般の人は国会議事堂の中へ入れないらしく
偉い人たちが続々と中へ入って行きます。
そここうしているうちに朝が始まり、どんどん明るくなってきました。 
 
サットゥ・マッレイシア! サットゥ・マッレイシア! 
と言っている歌が繰り返し聞こえてきます。
サトゥはマレー語で 1 の意味です。
藤原くんのブログにもあったように
マレー系、中華系、インド系の多民族国家を一つに!
という意味が込められていて、
KLの街のあちこちにも、1Malaysia が書いてあります。
 
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しばらくすると、車の通りがなくなり
どうやら今年の独立記念日の式典が始まったようです。
 
自分と藤原くんの二人は
この少年少女がずらーーーーーーーっと並んだ道を戻って行きます。
が、やたらじろじろと見られ
気づいたら藤原くんは記念写真を撮り始めて
何やら喋ってて
得意のナチュラルコミュニケーションをしています。
 
おいおい。とりあえず端っこまで戻るよ。
 
と言っても、両側から挟まれ彼らにすごい見られ
視線をやたら感じ
さらに、どこからともなく 
 
コンニチワ! コンニチワ!
 
アリガト! アリガトゴザイマス! アリガト!
 
と聞こえてきて、もうそれで目が合わないわけありません。
 
マレー語のこんにちはの セラマット・パギ を言って 
せっかくなので記念写真を1枚。
 
メルデカ・デイなので
サトゥーー と言って  マレーイシア! でシャッター。
 
それか 
サトゥ、ドゥア、ティガーー!(マレー語の1・2・3)で撮ります。
  
撮ってくれたら マレー語のありがとう
テリマカシを忘れずに。
  
セラマット・パギ
少し進んで、また1枚。  テリマカシ
また進んで、もう1枚。  テリマカシ
 
この道を片道戻るだけで
いったい何回記念写真を撮ったのでしょうか。。  テリマカシ。 
 
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日本人二人が何回も
サトゥーー・マレーーイシア! と言って彼らと記念写真を撮っていると
そりゃあ、目立つし覚えられてきます。
 
やっぱり、コンニチハ!  アリガトゴザイマス!の連発。
お辞儀をしながら
何回も記念写真を撮りながら
セラマット・パギ と テリマカシと言って進んで行くので
もうこりゃ、いったい誰がパレードしてるんだ
っても思わず思ってしまいました。
しまいには、彼らから
写真を一緒に撮ってくれ!
おれらと撮ろう!
と言ってきてきれました。。
 
すると、どこからともなく聞こえてくる放送
おそらく式典からでしょう。
 
「メルデカ! メルデカ!」
 
「サトゥ!」  「マレーイシア!」と数度みんなで言ってました。
 
もちろん自分も、藤原くんも一緒に 
「メルデカ!」   「サトゥ!」  「マレーイシア!」

 
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式典が終わり
誰か分かりませんが、絶対に偉いであろう方々が帰って行きます。
そこで、盛り上がっている藤原くんは
誰かからいつの間にかにもらったマレーシアの小旗を持って
偉い方と タッチや記念撮影 してました。 
 
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どうやらパレードも式典も終わったようで
少年少女たちがどこかへ戻って行きますので
自分ら二人も帰ることに。
が、やはりもう完全に顔を覚えられているようで
最後の最後まで記念写真を撮り続け
最後は二人とも、彼らが持ってる旗と
赤い サトゥ・マレーシア帽子をもらってしまいました。 
おそらく藤原くんは、その帽子をかぶって日本へ帰国して行くでしょう。
 
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一段落して、昼ご飯を食べていた時
ある事に気づいてしまいました。
藤原くんの記念写真はたくさん撮ったのですが
自分含めの記念写真をすっかり忘れてました!
 
でも
最高に楽しい独立記念日でした。 テリマカシ。 
 
 


マレーシア 17

審査を終えた学生はフリー期間などの予定や注意事項を
先生方と面接をしていました。
面接では具体的に何を話していたか分かりませんが
きっと、最後の日本帰国まで安全に気をつけて写真を撮ってこい!
ということなのだと思います。。
 
面接を終えた先生方は、日本へと帰国していきました。
ありがとうございました!
徳田も学生に負けず、マレーシアでしっかり写真を撮りたいと思います。
また、日本で会える日を楽しみにしています!

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スクーリングを終えた学生の乾杯。 jaya19にて。
 
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そして、フリー期間のプランニングなどを始めた学生たち。
荷物をまとめて日本へ送る準備をしたり
KLCCまで会話帳などの本を買いに行ったりと
フリー期間も近づいていますが
おっと、これは日本帰国も近いです。
百数十日あったフィールドワークが残り数週間となってまいりました。 
 
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KLの市内から施設まで帰るのにはバスを使うと楽なので
自分はいつもバスを使っています。
が、、何十回も乗っているそのバスが
初めて、しかも学生とともに乗っている時に
エンジントラブルで停車。
偶然か何か、止まったところは
ちょうどKLと施設のあるPJの境を示す門のあるところでした。
エンジンが止まったと同時にエアコンも止まり
人で埋まった車内の気温、湿度ともに急激に上がり
否応無しにマレーシアという熱帯を感じさせます。
一人、また一人と車外へと熱さ避難のために出て行き
そうこうしているうちに、後ろから来たバスに乗り無事PJへ戻って行きました。
 
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学生たちが大掃除をしてくれました。
長坂さんは、来た時よりも美しく綺麗に!
と言っていましたが
自分は内心、数十日もかけてキレイにしたこの施設
たったの数時間じゃぁ追いつけないはず、と思いながらいました。
かかってこいの5人対1人でした。 
 
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学生たちのフォローをしてくれていた長坂さんも
この日で学生に会う日は最後となり握手。
次に会う時は日本です。 
  
その後、夕飯を食べに外へ出ると
大家さんに会いまして、施設の近くに新しくできた
ダック屋さんで食べる事に。
開店当初はぼちぼちだったダックやチャーシューも
最近は皮がおいしくなったり、味も向上したりとしています。
この施設の近くは、郊外の一住宅街なのに
以外に美味しいお店がたくさんあります。。
 
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そして、ジェンガ。
最近気づいたのですが、
どうやら土台にしていた机が曲がっているっぽいです。
そりゃあいくらジェンガ自体が一定の高さ形でないにしろ
やたらくねくねすると思いました。
ちなみにこの徳田、ジェンガがやたら強い事が判明いたしました。
学生と何回か勝負をしましたがほとんど勝ち。
言われたコトの一つに、
徳田さんは、特技ジェンガです。
って言っていいって言われました。
 
だから、言います
私の特技はジェンガです。
 
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いやー、これだってここからすげー曲がってんじゃん!
 
あーっ! イヤだ負けたくない。 ん〜、、どこがとれんだこれ。 
 
ジェンガをつつくその指先は、優しいキツツキのくちばし。
 
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もう、これぶっちゃけとれるトコないって!
 
次はさすがに回ってこないでしょー! 
 
隙を見てすばやく確実に一つのジェンガを抜き取る指先は狩人。 
 
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あーーー、もうこれ倒れるって!
 
その置き方まじないわー!もっと、ちゃんと揃えて置いてよ。
 
一瞬の研ぎ澄まされた集中力は手の震えを止め、幾ばくかの勇気を出す。勝負師の指先。
 
本気でもう回ってこない!  はず!
 
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そして、誰かが倒しての繰り返し。 
 
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そして、藤原くん、志村くんが
タイへ最後の撮影のために旅立って行きました。朝の8時くらい。
見送る山本さんと高橋さん。 
 
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数時間後に高橋さんもシンガポールを経由して
ネパールへと旅立って行きました。 
 
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数日間クアラルンプールを取材したい山本さん。 
 
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学生が、スクーリングだのフリー期間だの言っている時
自分は英語学校へ通い始めました。
ブリティッシュ・カウンシルのクアラルンプール校です。
すごいキレイなクラスとレセプション、トイレで
クラスにはイラン人が多いです。
 
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学校の施設の近くには
もしマレーシアローカルフードランキングを付けるとしたら
必ず上位に軽々と入るであろうチャーシュー飯屋さんがあるのですが
KLにはその本店があります。
山本さんとともに行ってきました。
お客さんたちを見ると、チャーシューをもちろん頼んでいるのですが
それとともにチキンも頼んでいました。
だから、どっちもオーダー。
チャーシューの皮の味は似ていたのですが
肉の食感に結構な違いがありました。
しかし、さすが有名店だけあっておいしかったです。
  
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藤原くんが急遽、施設へ戻ってきました。
相変わらず元気なのでOKです。 
 
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そして、山本さんが中国へと出発です。
 
4期生みんなからの心こもった手紙を局長に渡し
タクシーにて空港へ。
 
山本さん、志村くん。
もうこの施設で会う事はないかもしれませんが
最後まで元気で撮影してください! 
 
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藤原くんとKLへ。 
 
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局長、藤原くんとKISSATENへ。 
 
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そして、局長も日本へと帰って行きました。
ありがとうございました! 楽しかったです!
次に会うときはやはり日本で、でしょうか。
また、お会いできる事を楽しみにしています。 
 
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と、局長を見送った数時間後
2期生の藤森さんとそのご両親が施設へとやってきました。
ちょっくら施設をぐるりとご案内したり、
ここでの生活を話したり、
藤森さんともジェンガをしたり、
紺野くんのベトナムのお土産をあげたりと。。
ウォンさんも来てのお昼はやはり、チャーシュー飯屋さんへ。
お土産やお米まで頂いて、、ありがとうございました。
 
お土産の羊羹に藤原くんは
すげー、うまいっす! と言ってました。
あんこがたまらんのだと思います。 
 
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マレーシア 16

スクーリングが始まって数日。。
 
ベトナムで写真をやってるFW1期生、紺野くんがやって来ました。 シンチャオ。
去年日本を出る前に会ったっきりの紺野くんとも
たしかに久しぶりに会ったんでしょうが
なんとも。。
全く久しぶりの感じがせず、昨日会ったんではねか?
とも思いたくなるくらいでした。
4期生は紺野くんとはベトナムを通った時にホーチミンで会っていたので
この家の空気にも自然と溶け込んでいました。
なにも問題ありません。
なにせ同じフィールドワーカーですから。
 
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しかし、本当はここへは来た日の前日に到着していたはずでした。
飛行機が機械のトラブルによってキャンセルになってしまったようで
30時間後遅れくらいで、とうとう航空会社を変えマレーシアへとやってきたそうで。
ベトナムから出ちゃいけないのか!?
とも思ってしまうほどの出来事だったとか、とか。

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まーなんせ、ここ二人はすでにこの施設に3年前に来ていましたので
どこでゆっくりできるなんつぁー知っています。
過ごしやすさを知っていなけりゃ、なんせ19人もいたんですから。
あれだけやった暗室作業も忘れてなんかいなくて
体が覚えていまして自然と動きます。
あの時も聞いていたスピッツを同じく聞きながら
記憶を聴覚から呼び覚ましたりして
五感のどこからか想い出す記憶はなんて鮮明なんだろうか
まるであの時のメンツが一緒にここにいるようだ。
とかとか、
想い出にふけりながらタンクを撹拌したり水洗をしてました。 
 
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ベトナムからのお土産はベトナムの帽子とキーホルダー。
その他は飛行機のトラブルの時に会った人へ。 
 
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先生たちがマレーシアに来た日に紺野くんとともにKL市内へ行きご飯を。
ベトナムからやってきたため
ここクアラルンプールがものすごい都会に見えたそうです。
たしかに紀伊国屋はあるし、伊勢丹あるし、ジャスコもあるし
そういえば、すごいです。
 
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この日から、先生たちが施設に来てのスクーリング開始です。
やはり、ここへ来るまでに武勇伝やら想い出やら、
体験記やらいろいろ溜まって、
学生たちの写真も進化や変化、進歩したみたいです。
 
紺野くんと、自分は暗室へこもりプリント作業。
 
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またまた、第3回目のスライドショーのイベントです。
今回は飯塚先生。
 
今回も席はいっぱいで前回来た人たちもたくさんいて
やはり自分の事も覚えてくれているようで
あいさつしたり、記録写真を撮ったりしてました。 
 
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自分のときもそうだったのですが
マレーシアのかたたちは割りかしシャイらしく
みんなの前ではあまり質問しません。
しかし、内に秘めたる疑問や感想をホントは
みんなたくさん持っていまして
だから、席を個々に回ったりしたら
すごく話こむようです。  
 
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ここで先生たちと紺野くんは早くもお別れです。
次はいったいいつ再会するのでしょうか。。 
 
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施設に戻ったら学生が写真を机に並べてまとめたり整理したり
自身の写真を見ていました。
もちろん自分ら1期生二人も見るのですが
いつの間に一人小一時間のプチ授業みたいになってました。
  
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そんなこんなやってるうちに
早くも紺野くんはベトナムへと帰るため
早朝タクシーに乗って空港へと向かいました。
なんだかんだであっという間でした。
 
いったい次はいつ会うんでしょうか。
こっから近いから次は自分がホーチミンへ行こうか。どーしようか。
誰も一緒にキナバル山行ってくれないから
この1年のうちいつかに行こうと約束をしましたので
もしかしたら、キナバル山日記をアップするかもしれません。
でもまあ、ホーチミンで元気にやってくれ。 またね。
 
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スクーリングは進んでいきます。 
 
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スクーリングもあとちょい
 
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いったい彼ら自身の目からはどう自身の写真は見えているのでしょうか。 
なんてこともやりつつ。
志村くんのメガネから見る志村くんの写真    藤原くんのメガネから見る藤原くんの写真
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第2回目のスクーリングの審査
 
やはり、写真は自らの考えや人をそのまま表すもので
自身が鏡のように全部出てきて、
しかも形としてその場に存在して目でみえてしまいます。
学生たちは今までのフィールドワークで撮ってきた写真を 見返して、
この審査を受けてどう思い考えたんでしょうか。
もっと、もっと突き詰めなければいけなかったり
まだまだ未熟だったり、でも撮れていたり、明らかな進歩が感じれたり。
授業ではなく審査となると緊張が違うと思うので
また思うことも違い、新たな事が見えて何かが開けたかもしれません。
  
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そして、審査終わり。 
 


マレーシア 15

日本から戻ってきた数日後、、
インド・ネパール・中国をフィールドワークしてきた学生たちが
また一つ成長した姿で、旅慣れた風をなびかせ
PJへと熊倉局長とともに戻ってきました。
 
第2回目のスクーリングの始まりです。 
 
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長坂先生が学生たちへ
スクーリングの流れや予定を説明していろいろと準備をしていました。 
 
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横では局長が中国へ行った時に買ってきた
ヤクの角で作った肩たたきでトントンとしながら
麗江で買ったナシ族のダンスのDVDを見ていました。
自分も見ていると、あら。
このダンスの表現! あれだ!
内モンゴル自治区の草原へ行った時に見たダンスに似てる!
あの時に見た衝撃的な斬新な振り付け、テンション、
わくわくする表現力、、これは似ています。 
 
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日本に一時帰国した時に友人宅でやったジェンガの興奮が忘れられず
せっかくこの施設に独り暮らしじゃないので
ジェンガをわざわざ買って、
4期生が時間がある時にやってました。
集中力を要するハラハラどきどきのジェンガは
子供のみならず、この年になっても十二分に楽しませてくれます。
おいおい、真ん中抜くと高くならないべ〜、
あーーー、もームリ。さすがに次は回ってこないでしょ。 
とそんな事をくっちゃべりながら
38段目までは積む事ができたのですが
なかなかそれ以上はいかず、40段の壁が相当厚いです。
 
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みんなで前回のスクーリングの時にスライドショーをやった
卒業生のアンディさんのKISSATENというお店へ。
ここの施設からはすぐ近くで、タクシーに乗り数分。
恋しいここのお店の料理などなどに再会しました。 
 
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そして、学生が局長へ感謝のケーキを買ってきてました。
ホントはみんなで集合写真を撮ったのですが
手違いによりその画像を消去してしまいました。。
おそらく学生のブログで見れると思います。
 
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局長の約4ヶ月の4期生引率はここでおしまいです。
ありがとうございました!
引率という仕事はやはり特別なのだ。と思いまして
しばしの別れの手を振りあう局長と学生たちとの距離は近く
どちらも素敵笑顔が出てました。
  
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学生たちは朝から写真の整理を始め、昼は近くの屋台で食べて、 
また写真の整理をし、
夜は緑の壁のお店へ行くか、jaya19へ。
そして、また写真の整理。整理、プリント、、、。
と、スクーリングをしていまいした。
 
でも、こつこつとパソコンの前に何時間も座り続けて作業をする姿は
自分たち1期生暗室組とは全然違うものに見えてしまいました。 
あれはあれで大変そうです。。 
 
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日本 2

日本での生活は写真展以外たいした用事はなく
毎日人と会ってご飯を食べての繰り返し。
あれだけ楽しみにしていた実家のご飯すら
たくさん食べれなかったくらいでした。
 
4期生が5・6月に施設にスクーリングで来たときは
おもわずうれしくて数週間で4kg太ってしまいましたが 
学生がインドへ発った後、減量に成功して迎えた日本エンジョイ生活。
 
せっかく日本で毎日毎日おいしいご飯を楽しい食事で食べれるのに
ここで食べる量を減らすなんつぁー自分にはできません。
太っても、体重なんてくだらない小さい事だ
増えた体重はうれしさや楽しさの数だと言い聞かせ
気にせず食べてました。
毎日最高においしいかったです!
さすが日本食。
  
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じゃあ、今日はもつ鍋が食べたいからもつ鍋屋さんへ行こう。
あっ。
でもなんか、ここのお店、見て。冷やし鍋ってのがあるんだってさ。
ちょっと電話をかけて予約して。
と、向かった渋谷のもつ鍋屋さん。
しかし、どこかで血迷って冷やし鍋を予約してしまったようで
鍋が出てきたと思ったら、その名の通り冷えた鍋。
冷やし鍋!
その場での話のネタにはなりましたが
鍋の後の雑炊を頼むタイミングではみんなが思わず身を乗り出して
すみませんが、、雑炊はあったかいのでお願いします。。。
と言ってしまいました。
 
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地元はすっかり夏でした。
盆踊りの準備がしてあったり、田んぼには緑の稲があったり
蚊にさされたり、蝉の抜け殻があったり
雑木林にはうるさいくらい蝉が鳴いていたり
海には相変わらず人がたくさんいたりと
少しずつ景色は変わっていっていますが
小さいときから感じている夏がそこにはありました。 
 
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清里フォトミュージアムへ 久保田博二「アジアの肖像: ダイトランスファー・コレクション」
を見に行きました。
まだ学生だったころバスで行ったのが懐かしくて
あの時の感覚ではすぐ行けるだろう、と思っていた清里駅。
なんだかんだで片道4時間。
 
駅からの道を聞くために近くにあったお店のおばちゃんに聞いたところ
気持ち良いかんじの道をしばらく行けばあるらしいとのこと。
ところがどっこい、
地元の人たちは車移動がほとんどらしいので
歩きでの距離感があいまい。
行けども、行けども、気持ち良いかんじの道すらどこかも分からず
しばらく進んだとこで断念して、
気持ち良いかんじの道の途中からタクシーでフォトミュージアムへ。

これは、これは
気持ち良いかんじの道を忘れるほどの
すごい写真が展示してあってビックらこきました。
ダイトランスファープリントというものを聞いた事はあったのですが
あれは今まで見たプリントの質感やピントとは全く異なるものでした。
 
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マレーシアにいた時にこのカレーの画像を送ってこられてイラッとしたカレー。
このカレーもおいしすぎます。しかもカツカレー。
自分がマレーシアの家で作るカレーがカレーじゃないんじゃないか
と思いたくなる程の圧倒的な差です。 
 
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あっという間にエンジョイ日本生活は終わりを告げ
日本ともまたしばらくお別れです。
会ってくれたみなさん、ありがとうございました!
最高に楽しかったです!
 
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夏休みだからでしょう。
混んでいた成田空港を出発して再度マレーシアへ。 
 
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ただいま マレーシア。 
結局5kgくらい太って帰ってきました。

これで100個目のブログとなりました。
これからもよろしくお願いします。 
  
 


日本 1

7月半ばから8月までちょっと日本に帰っていました。
 
少しばかり遅れましたが、約1年ぶりの日本のブログです。
 
 
日本へ発つ数週間前、数日前からお腹がうずうずして
日本食を食べれる楽しみでいっぱいでした。
 
まさか、日本へ日本の飛行機会社で帰れるなんて思ってもなかったです。
すばらしく、シートではいろいろな映画が見れたので
フライトの間ほぼずっと映画を見てしまってました。
それだけでも、うれしいのなんのって。
 
日本が近づいて来たとき、飛行機の下に雲が出ていまして
朝日が少し昇り飛行機の影を小さくその雲たちに映していました。
そういえば、前にテレビで
こういう時に起こる現象が一つあった事を思い出して
小さな飛行機の影を追っていると
見えました エンジェルキス。
太陽に照らされた影飛行機の回りに
まあるい虹が見えました。
天使が追いかけてキスをしているように見えることから
その名がついたそうです。 
おっと、日本帰国の出だしからなんと縁起の良いことか。 
 
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日本に帰って成田空港やらコンビニやら何か日本のものをサッと口へ
運ぼうと幾度となく思いましたが、そこは我慢し、
日本帰国最初の日本食は鈴木先生と行った ミソカツ。
くるおしいほどのおいしさに首を傾げ、身震いがし
自分自身の舌が大声をあげて喜んでいるのがよく分かりました。
間違いなく最高でした!! 
 
友達と行った焼き鳥屋さんでは
一串食べるごとに
なんでこんな美味しいんだろ!?
を繰り返し祈り唱えるように
くどいくらい言ってました。
やっぱり、日本食を数ヶ月ほとんど食べていなかったので
美味しさが5倍くらいに感じたんだと思います。
  
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FW1期生ともせっかく帰国したので
みんな仕事をしていますが、時間を合わせてもらって
遊びに行ったりしました。
久しぶりに会うのでしょうが
ぜんぜん久しぶりの感じがしなくて
昨日会ったように あっ。っとあいさつを交わし
もし、自分が小学生だったのなら
もの凄く懐かしく思うんだろうと思ったり、
それをそんなに思わないから
年を重ねているんだろうと思ったり。 
 
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そして、今回の一時帰国の理由はこれでした。
コニカミノルタ フォトプレミオの受賞者写真展
 
この知らせを数ヶ月前マレーシアで知ったときは
本気で、うああーーーーーーあああーー−!!!!!!
と叫ぼうと思うくらいうれしかったです!
でも大きくガッツポーズはしてました。
 
ありがとうございました! 
 
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あびとも久しぶりに会って
男4人で若干のむささはありましたが
ふらっとレンタカーを借りて
小山登りへ行ってきました。
 
行った山は千葉県の高宕山でした。
高速料金ケチって下道で行ったら
片道5時間ばかしかかってびっくりしましたが
いざ上りはじめると
日本の山の空気感に癒されてたぶん忘れてました。
あの緑の色と山並みは最高ですね。

 
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標高は330mと低めでしたが
2時間くらいかかった頂上から見える山並みと風はすばらしいものでした!
あの感動で登ってきた疲れはふっとびました。 
 
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そして、さすがにまた下道で帰るのは時間がかかりすぎるし
ということで東京湾アクアラインを通って東京へと帰りました。
何時間も運転してくれた田栗にはホントに感謝です。 
 
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その後、集合時間には遅れましたがFW1期生とご飯へ。
 
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翌日、あびと一緒に学校へあいさつへ行ったり。 
 
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宝石を食べているのではないかと
錯覚するくらいのパフェです。
こんなにもおいしいものが存在する日本。
おそるべしです。 
 
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9日間の受賞者展もあっという間に終わってしまいました。
日本に帰れるキッカケにもなったこの賞をいただけて
ほんとうにうれしいです! ありがとうございました! 
 
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日本2へつづく・・
 
 


ペルヘンティアン島・コタバル

ペルヘンティアン島へ
 
マランからクアラトレンガヌへ行き
バスステーションからクアラベスッ(Kuala Besut)へ。
途中路肩には牛やヤギがいて
あー、マレーシアも牛が道路にいるかんじなんだ
と思いながら約2時間。
そこから旅行会社に誘われるままにボートのチケットを購入。
他の国へ来たのではないかと見まごう程の欧米人の数で
自分以外は友達や家族、相方を連れていて楽しそうですね〜。
と、一人旅の寂しさを感じ
ブロンドの後ろに日本人が一人くっついて出発です。
 
海は凪を思わせる落ち着きで、
前回のカパス島とは比べ物にならない程の安定感。
約40分でペルヘンティアン島(Pulau Perhentian)に到着。
 
昔、この島はマレーシアとタイの貿易の通り道としての役割を担っていました。
なのでペルヘンティアン島の意味は止まる場所とかそんなかんじです。。
島はベサール島 大きい島(Perhentian Besar〈Big Perhentian〉)
と、クチル島 小さい島(Perhentian Kecil〈Small Perhentian〉)
の二つがあって、自分が行ったのはクチル島です。
こっちの島のほうが安宿がたくさんあります。
 
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クチル島の真ん中に反対側の岸まで歩いて行ける道があるだけで
道路がなく観光客たちがいるビーチには車などは走ってません。
なので島から島、岸からダイビングポイントやシュノーケリングポイントまで行くのには
観光客たちはボートを使わなければいけません。
せわしなくいつも朝から夜まで、海上を滑るように走っています。 
 
ここのビーチは数百メートルある長いビーチでロングビーチと呼ばれています。
色とりどりのパラソルが立ち並び
まさにここも、白い砂浜、青い海の南国です。
肌が真っ赤に焼けた欧米人たちが寝そべり
サングラスをかけながら本を読んだりしています。
あるいは、黒いウエットスーツに身を包み
島の回りに広がる珊瑚礁を見にダイビングツアーを
している人たちもたくさんいました。
 
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朝日はロングビーチのちょうど正面から上がってくるため
まだ水平線に近い太陽から照らされた光が海面の揺らめきに乱反射して
きらきらと音を立てるように光っていました。
 
ペルヘンティアンの朝です。
 
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ロングビーチの前はだいたい腰程の高さの浅瀬が続いていますので
気軽に泳げますし、つかれます。
気持ちいい海ですね〜。 
たまにマレー人のおばちゃんたちがボートに乗って
出勤やら帰宅やらでこのビーチに出現するのですが
ビーチにいる人はほ欧米人のため、海パン一丁当たり前
ビキニももちろん普通で肌の露出が多いです。
だから、逆にあの頭を隠したスタイルがもの凄く不自然に思えてならなかったです。。
遠くから見ていると、まるで何か異物でもこのビーチに存在するような
感覚まで感じてしまいました。
 
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夕日もロングビーチから歩いて15分くらいの反対側のビーチから見えます。
長く横に広がる雲は各々の色が微妙に違くて
青く光るものや、夕焼けに染まり赤くなるもの
その中間でやや紫色に落ち着くものもあり
また稲妻を含み、たまに光る雷雲もありました。
しかし、次第にそれらも熱帯の一つの夜の中へと沈んでゆきます。
 
どっちのビーチでも夕食の準備が進んでいて机が並べられ
二つの色に分かれたろうそくが各々の机の中央に置かれてます。
バーベキューもここでは定番のようです。 
昼の森とは逆に暗く、静まり返った印象を与える道を進み
ロングビーチに戻ったら今度は満月が上ってきてした。
そういえば、この時は100%忘れてましたが
この日は7月7日の七夕でした。
  
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島を離れる時に、少し沖に止まっているボートに数十分放置されました。
緩やかな波がボートを揺らしますが、
そんな揺れでもあんま長いと気分が悪くなってしまうやもしれん。
と思い、海面へ目をやります。
まるで亀の甲羅のように光がゆらゆら形作られています。
そういえば、おっちゃんが
この島にはタートルズベイってのがあって
そこにはちょうどこの7月くらいのシーズンに亀がたくさん泳いでくんだよ。
大丈夫、だいじょうぶ、見れなかったらお金返すから。ホント。
って言っていたのを思い出しました。
あぁ、だからこれが亀の甲羅に、、と思っていると
少し離れたとこに止まっている別のボートに観光客を乗せるため
波が揺れバランスを崩し変形していきました。
 
他の観光客たちが乗り込み
帰りの海は波もうねりもない優しい、分かってくれてる波でした。  
 
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クアラベスッからバスでコタバルへ直接行けないらしく
タクシーに乗りコタバルへ。
 
コタバル(Kota Bharu)はマレーシア東北部のタイとの国境も近い町です。
やや大きいこの町は「新しい町」という意味で
人口比率は分かりませんが、ほぼマレー人が町の人口を占めているでしょう。
マレーシア国内でも最もイスラム色が濃く
他の町とは違った雰囲気を持っている町でした。
 
また、町から少し離れた場所は
第二次大戦時の日本軍によるマレー半島上陸作戦の舞台となった場所もあります。
 
しかしこれまた、マレーシアの西側とは大違いで
東側は島がたくさん海があるだけあって宿がもの凄く安定してます。
西もこうなればもう少し旅がしやすいのですが。
コタバルはさすがタイとの国境近くだけあって
外国人旅行者が昔からたくさん泊まっていたのでしょう。
ここも安宿と呼ばれる宿がいくつかあります。  
 
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宿には猫やウサギがいて
猫は自由気ままに動いてて、じゃれあってました。
特に夜になると小さい虫にムキになりながら
猫の手で、ちびちびやってるのを見てるのがちょっと楽しかったです。 
 
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この今は博物館になっている建物も
第二次大戦時、タイピンの北京ホテルと同様に
日本軍の秘密警察が使っていた建物だそうです。
中には一階が戦時中のことがたくさん展示してあって
戦時中、日本軍が使った自転車作戦の自転車も展示してありました。
これはマレーシア国内には日本軍の秘密警察の建物がたくさんあるっぽですね〜。 
 
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バード シンギング コンテスト
中心地から少し離れたところでこのコンテストは開かれてます。
小難しい顔をした男たちが歌声審査員たちの審査の結果を
思い思いの姿勢で待ってました。
音の高い声で鳴き続ける鳥たちの
いったい何を基準に審査していたのかは分かりませんが
一籠に数分は費やしていたように思われます。 
毎週金曜にやってます。
バスでコタバルから帰る時も
他の町でやってるのを目にしましたので
いろんなトコロでやっているのでしょう。
 
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金曜の朝に開かれていたマーケット
今までマレーシア半島内行った中でここが一番楽しかったです。
ぜーーーんぶマレー系で、やはり他の町との違いを感じせざるを得ないです。
それと、ここで店を出してるおばちゃんたちも
いい顔してて、しびれました。 
 
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とまぁ、少し長めのマレーシア小旅行は終わりました。
次はどこへ行こうか。。。 
 
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クアラトレンガヌ・マラン・カパス島

今回は
マレーシア半島の東海岸の真ん中から北部まで行ってきました。
 
 
最初に、いつものようにKLのプドゥラヤ・バスステーションから
昼くらいに出発しようと思って行くと
うっぷす。
東北部は以外に遠くて、昼以降に出発のバスはないとのこと
朝か夜行のみ。
仕方がないから東海岸の真ん中あたりにある
クアンタンへ。これで3回目になってしまいました。
 
ここに着くのはいつも夕方くらいで
行くと毎度キレイな夕焼けを見せてくれます。
 
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翌日の朝 クアラトレンガヌへ移動です。
この町の名前の由来はトレンガヌ川が流れている事から
トレンガヌ川の河口という意味だそうです。
 
しかし、バスのチケットを買う時に
クアラトレンガヌ!
と言っても、はぁ?? と、顔をされまして
よく聞いてみると、テレンガヌって言っているっぽかったです。
スペルも Kuala Terengganu なので、やはりテレンガヌなのでしょうか。

マレーシアの中でも特にマレー色の強い人口約30万人のこの町は
マレー系人種の比率が95%以上とも言われています。
じっさい町にいてみても、バス停や食堂、道に歩いている人は
ほぼマレー系でした。
しかし、何百年も前は最初にこの町を開いたのは中国人たちだそうです。
今でも、華人たちは住んでいるのですが、
彼らは街の一角にある「唐人街」というところにあつまって多く店を構えていました。
 
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しかし、これまた泊まった宿に感動をしてしまいました。
なんてったて今まで行ったマレーシアのマラッカ以外の地方の町に
外国人安旅行者の行く宿的な場所がなかったので、
はぁ〜あ、、
とここでもまた溜め息をつくようにガイドブックに載っている一番良さげなとこへ行くと
あれまっ!
今までにない新鮮な、部屋に雰囲気! 屋上にもまた良いレストラン!
マレーシアの地方都市にも、こんな場所があったのかーーーっ!
さすが、マレーシア有名リゾートアイランド、レダン島を主に扱っている旅行会社だけある。
と、一人で感動してました。
 
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この町だけではなく他の町、そこらへんの道、車のトランク一杯、
いたるところにドリアンがたくさん並べられています。
トゲトゲしたこのドリアン
やはり、こないだ食べたドリアンのように きっつ〜〜っい 臭いはせず
おっちゃん曰く めっちゃ安いよ! このドリアン! って言っており
横で見てると、おめぇーも食いなって一つもらいました。
とてもとても くりぃ〜み〜な感じと、濃い〜味わいです。
 
 
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トレンガヌ州立博物館
町から約6キロ離れたこの博物館はマレーシアで一番規模が大きくて
噂では東南アジアで一番とかなんとか、、
いくつかの高床式の大きな建物に分かれてます。
トレンガヌの歴史、スルタンの展示、各民族の結婚式の様子、動物の剥製など
さまざまな展示がありますが
この行った時はタイミングが悪くて
ちょうど前の展示が終わり、民族楽器と音楽、の展示に変えてる最中でした。 
 
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ランブータンも今は旬のようで
バスに乗ったり、そこらへんを歩いたりしてると
大きすぎず小さすぎない木に赤い小さな実が
ぶわぁーーっとわざと人が引っ掛けたかざりのようにたくさん実っています。
しかし、この実もドリアンと同じく見た目が日本人には馴染みがないです。
赤いピンポン球程の小さな実に
もじゃもじゃした先端が緑の毛のようなものに覆われています。 
マーケットに行くとこれもたくさん積んであるので、
若干不快感を感じさせるような
もじゃもじゃを確かめるように実を触ってると
おい、食べろ!
と、おっちゃんに言われ 一実。
隣にいるおばちゃんにも
ちょっとあんた、なに? 食べなさいよ、ほら。 と、また一実。
いただきました。
めっちゃ甘くておいしいだろっ!って果物屋さんたちは言ってました。
旬の果物はおいしいですね。ありがとうございました。 
 
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クアラトレンガヌの町の中心から少し行ったトコにある海岸 Pantai Batu Buruk
しかし、速い潮の流れと強い波で泳ぐには適していません。。
多くの人は浜辺に座ったり、その前のベンチに座ったりと
ゆっくりしている人たちがたくさんいました。
ここへ来たら揚げアイスを食べないと帰ってはいけない!
と、ガイドブックに書いてあったので
いざ食べるとなると少し悔しい気もしましたが食べときました。 
 
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次にクアラトレンガヌの町から少し南にある小さな村のマラン(Marang) へ。
ローカルバスの中は金曜日だからだったのでしょうか、たくさんの人が乗ってきて
大人も子供も正装している人たちが多くこれからモスクへ行くのでしょう。
 
マランの村は、トレンガヌの町とは比べ物にならないくらい小さいです。そして静か
海沿いの村なので漁に出る用のボートもたくさんあり
食堂にはイカが丸ごと入ったマレー料理もあって、これは美味しかったです。
 
この町は日本の 地球の歩き方には載ってなくて
ロンリープラネットに載ってるので日本人はあまり来ないそうです。
ほとんどの旅行者はこの町からボートで行ける
カパス島を目指します。
 
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宿に泊まっているのは自分一人だけで
おっちゃんに近くでやってるナイトマーケットに連れて行ってもらいました。
ほとんどの屋台の食べ物は食べたコトがあるものだったのですが
その中に焼き鳥があって(普通はサテーという焼き鳥なのですが)しかも少し筋っぽい
思わずそこを通るたびに一本、また一本と買ってしまいました。
熱帯魚も小さいコップに入って売ってます。
 
その後はおっちゃんの家へ連れて行ってもらいました。
こういうの、はたしていつぶりだろうか。。
と思いつつ、お茶をもらって
4人兄弟の末っ子の1才くらいのお子さんに
たまに掴まれながら、じっと見られながら座ってました。
ああいう情況、どうすればいいかキャパがないです。。。 
 
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カパス島(Pulau Kapas)へはマランの村のボート乗り場から行けます。
普通はボートや宿を扱ってるカウンターで買うのですが
それを知らず、なんとなくボートに乗って出発。
10人乗りくらいのボートで、さほど波も高くなく
軽快に進んで20分くらいで到着です。 
 
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島は小さくて宿泊できる場所もいくつかあります。
前述したように、歩き方には載っていない島ですが
ちゃんとバックパッカー用の安宿がいくつかあります。
しかも、海が見えるけど森の中にあるようなものや、
ちょっと孤立した場所の宿、多くがシャレー式でいい感じでした。
まさに青い海に、白い砂浜、南国の島です。
土日や大型連休にはマレーシア人たちがたくさん来るそうなのですが
それ以外の平日なのどの日は、とてもとても静かだそうな。
現に行ったビーチによって人の数が違って
端っこにあるビーチは人が全然いなくて、楽園を少し感じさせました。
シュノーケリングとかもできます。 
 
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マレーシア人、とくにマレー系の男の人も女の人も服を着たまま海へ入るようです。
宗教上、肌を多く露出したらいけないのですが正直動きにくそうで
海で遊んでる人や、ビーチを歩いてる人たちは
びたびたと、肌に服が吸い付くように遊んでました。
どんな服かと思ったら、普通の動きやすい服装。というかんじです。 
 
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新人消防士の海上訓練を見ながら帰りのボートを待ってると
そこからボートは出ないとのこと。。
なぜなら海は荒れ、風が強てそこにボートが近づけないからです。
そりゃー、消防士たちも訓練しながら吐いてますよね。。。
 
他の人に助けてもらいながら、
ホントは持ってなきゃダメな帰りのボートチケットなしに
ボートに乗せてもらいました。
内心この海だと帰りたくなかったですが。。
他の華人たちと共に波の影響を受けにくいビーチからです。
しかし、ここにも海の荒さは伝わってきて
まるでビーチの砂浜が唸りをあげて、手をひくようにボートを海へ引っ張って行きます。
行きのボートよりも小さいボートにて出発です。全員ライフジャケット着用。
荒ぶる波、うねりは出発してすぐにボートに影響をし、
小山のようなうねりを越える度に船底を幾度となく海へ叩き付けます。
叩き付けられ海水がはねて華人たちにかかる度、
海に抗って進むボートと絶叫する海のように
大きな笑い声をあげて、何言かを叫んでました。
あーーーーっはっはっはあ、はーーーーーー!ああーーーーーっ!! 
カメラを持っているんだ、やめてくれ。
興奮冷めぬ華人たちとは逆に
自分の右手は確実に震える心を抑えるようにじっと掴んでいます。
どうか、海よ静まりたまえ〜。
 
まるでナチュラル絶叫マシンです。
マランへ戻り接岸した時は、不安が残り心臓はしばらく速く鼓動してました。
やはり船は苦手です。。
  
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そして、ペルヘンティアン島へ。
 
 


マラッカ 2

 
今回はマラッカへ
 
マラッカはKLからバスで2時間のペナン島と同様に世界遺産に登録されたとこです。
KLから近いため日帰りツアーなども出ていて観光客がたくさんいます。
ちなみに自分は今回行ったのですでに3回目。
近いからってちょっと油断してたので、少し遅めの出発
バスは一番時間も安定してるし、シートもきれいなトランスナショナルで。 
 
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以前来た時に泊まった宿で会った日本人の人にまた会いました。
ちょっとホントにびっくりです。
それは8ヶ月前のラマダン明けの時の話。
そこで会った人は、日本からシンガポールを抜けてマラッカにいまして
その後にタイ→インドと行って、
5回目である南米アマゾン、奥地にある小さな村へこれから行くと言っていました。
その人がファンの下で寝転がってマンガ読んでるじゃぁありませんか。
こらまた偶然と言いますか。。
しかし、日本からだと地球の裏側アマゾンの奥、すごい遠くまで行ってしまった
そんな人の話を聞いてると
どうしても世界が小さく感じてしまいました。
 
それと、もう一人のマレーシア人のアメリカ育ちの人もまた
8ヶ月前と同様にいました。
正直、彼は従業員ともマレー語で会話してるし
いつ行ってもいる雰囲気出てたので、働いてるのかと思いきや
バックパッカーで、彼もアジアを回り
これから南米やらを目指すと言っていました。
ここぞとばかりに英語の微妙な文法の違いを聞いて、やっぱり! と納得しつつ
まるで計ったかのようにいる二人と再会しました。
いやいや、この町には
他の町にはいない外人の観光客がたくさんいます。
 
そして、朝
ポルトガル村へ。
この村は16・17世紀にやってきたポルトガル人と
マレーシア人の子孫の人たちが住むところです。
400年以上も前の話で、
そりゃあ顔もマレーシア人になるだろうと思っていましたが
話しかけたおっちゃんの眼が青かった気がしつつ
店番やら、だべってる人らの顔もポルトガルの感じが、、、
気持ちの問題でしょか。
この時期にそのポルトガル村(portuguese settlement)でお祭りが開催されます。
昼に行ってみると、何もやってそうにあません。
どうやら日中は学校が横にあるため何もできないそうで
夕方の6時からだよと言われ、今日のところは退散。
 
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マラッカをぶらぶら 
 
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マラッカの近くにあるプラウ・ベサール(Pulau Besar) へ
 
市内からちょっと行ったところからフェリーが出てるので
そこから出発。
どうやらここの島も第二次大戦時の日本軍とのなにやらがあるそうなのですが
詳しい事は分かりませんでした。
乗客は自分とヨーロピアンらしき二人。のみ。
あら、あら、すみませんね〜。と思いつつ
うんうんと唸るエンジンを聞きながら15分くらいで到着です。
ここには一つホテルがあるのですが
明らかに稼働している様子はなく、クローズの張り紙がしてありました。
けども、改修工事をしていたからシーズンによるのでしょう。
小さい村がこの島にあるわけではなく、ホテルのバンガローがたくさん建ってて
他には小さなモスクとお店、
それと、テントを張ってこの島で生活している人がいました。
海の水はちょっと沖に出ただけあってちょっとばかしキレイで
むしむしするこの島にいると泳ぎたくなりましたが
水着を日本に置き忘れてるので断念。
島をとりあえずぐるっと歩けるところを歩き、帰りのフェリーを
2時間くらい待って帰りました。
帰りのバスを待ってる時は、そのヨーロピアン二人と話して
最近ちょっぴりチェコに縁があるのか
彼らはチェコ人で、ニュージーランドで勉強してたみたいです。
  
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そして、学校のない日は昼間もお祭りやってるよ。
と言うおばちゃんの言葉を信じて行ったポルトガル村はまた静かで
そりゃぁ、この暑さで好き好んで踊ったり、イベントしないですよねー
と思って夕方また来てみると
あらあら、なかなか始まりません。。。
夜暗くなって、涼しくなってからあのお祭りはやるのでしょう
と心に秘めながら何やらのポルトガル的おかしを買って
腹も空いたし、と町へと戻りました。 
 
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週末はチャイナタウンのメインの通り、
ジョンカーストリートでナイトマーケットが開かれます。
やはり、KLっ子たちもたくさん来るのでしょうか、
観光客でしょうか、結構たくさんの人が来てました。 
 
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いやいや、マラッカは近いからバスに乗る時間も少ないし良いですね。 
 
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次は東海岸へ
 
 


アロースター ・ タイピン

アロースター と タイピンへ行ってきました。
 
 
アロースターはKLからバスで6時間くらい
マレー半島の北、タイ国境の近くにある町です。
ランカウイ島の近くなので経由のために寄る旅行者はいるかもしれませんが
多くの旅行者はこの町をスルーしてしまうそうです。
マハティール前首相の生まれたでもあるのでちょっと気になってました。
町からタクシーでちょっと行ったところに生家があるのですが
ど忘れしてて行ってみるのを忘れてしまいました。。
 
プドゥラヤバスステーションから
ゆられゆられ、アロースタータワーが見えたくらいで到着です。

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アロースターはこれによりますと1735年からの町です。
この町にあるモスク、ザイールモスクは
マレーシアにあるモスクの中で一番美しいといわれているモスクです。
中に入ろうと思いましたが、ドレスコードに合った服を着ていない事に気づき
外からしか眺められませんでした。
しかし、町がホントに地方の町で。。。これまた。
 
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アロースターに来たらやっぱり目立つアロースタータワー(Menara Alor Setar)
なぜこんな地方の町にタワー?? ちょっと唐突だ、と思いましたが
やはりマハティール前首相の生まれた町だからなのでしょうか。。
高さ165.5mの展望台からは他に高い建物がないため
360°遠くまでよく景色が見えます。
夜もやってるので、夜に行けば夜のアロースターを見る事もできますし。
  
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川に渡し船があったのでちょっくら乗ってみて対岸へ行ってみました。
コタスターという地区です。
船のおっちゃんがいうには2002年の日本のオリンピックのとき新宿で働いてた。 
と言ってましたが、おっちゃんそれはワールドカップでしょう。
て言いましたが、おっちゃん的にはオリンピックなのでそれはそれで大丈夫です。
こんなところにも日本で働いたことのある人がいました。
なにげにたまに会います。
対岸へ行ってみたはいいですが、住宅地で何もせずにぐるっと回って戻りました。
  
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とまあ、そんなかんじでアロースターは終わり
次の町タイピンへ。
アロースターのバスステーション、
シャハプラナというとこから乗って直接行こうと思いましたが
チケット売りのお姉ちゃんに、タイピンへの直行はないからコミューティングまでよ。
って。、、コミューティングってなに??
と聞きまして、
お姉ちゃんに言われた通りバタワース経由でペナン島を横目に見ながらタイピンへ。
 
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19世紀にスズが発見されて中国人労働者がたくさん来たため
今でもタイピンの町の70%は華人です。
この町もイポーのようにコロニアル調のいい感じの建物がいくつか残ってます。
それには1923 とか 1889とか書いてあって
それがずっと残っているみたいです。
タイピンはマレーシア最初のものがたくさんあって
鉄道の駅や、博物館、動物園、刑務所、ゴルフコースなどがそれです。
 
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宿のおっちゃんに言われるがまま
タイピンの隣町、マタンというところへローカルバスステーションから。
マタンには古くからある日本人が住んでいて
彼は木炭を作って日本へ送っているんだ。だから、マタンは木炭の木がたくさんだよ。
と言われ、行ってみたはいいですが
どうすればいいか分からないくらい普通の村で
ちょっとだけその木炭を作る日本人の影を探しながら歩きました。 
が、見つりませんでした。。
ぷらぷら歩いてると、村を一周したバスにまた乗りタイピンへ。
 
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トカゲ
たまに見かけるこのトカゲ大きいです。
この時に見かけたトカゲは推定1.2mくらいでしょうか。
大きくて、一瞬はっ!っとしてしまいます。
 
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そして、ひとりzooへ。
なんとこの動物園はマレーシアで最初の動物園という顔の他に
マレーシアで最初のナイトサファリができる動物園でもあるのです。
さすがにナイトサファリまで行く根性がなかったため昼しか楽しめませんでしたが。
展示の仕方がおもしろくて、たまにナチュラルな木に猿がいたりと。
一人動物園はちょっと、、、
と、最初は思ってましたが楽しかったです。 
 
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動物園の回りを囲んでいるように広がっているのがレイクガーデン。
このレイクガーデンは元々スズの採掘場で1880年に公園化しました。
広い人造湖の回りにはゆっくりしてる人だったり、
カヌーの講習をしてたり
あの漕ぐスワンボートみたいのがあったり 
いいですね。
  
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タイピンで泊まったホテルの名前は北京ホテルというところ。
外観はいい感じのコロニアル調で1923と書いてあり
ペナンで泊まったキャセイホテルに似てますがちょっと違います。
このホテルは第二次大戦時に日本軍が使っていた警察署でもあります。
こんなマレーシアのここにまで日本軍はいたのか、と思ってしまいました。
宿のおっちゃんには、夜になったら何か聞こえるかもね笑
と言われましたが、ベットの上にある何やら古いホックが気になりましたが
何事もなく寝れました。
  
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